伊東市を揺るがす「田久保劇場」の幕は、市議選が終わっても降りる気配すらない。市民の審判が下ったはずの舞台で、主役である田久保真紀市長は、まるで観客を嘲笑うかのように居座りを続ける構えだ。反市長派が議会の多数を占めてもなお、彼女が失職しない驚くべきカラクリが存在する。それは、地方自治法に潜む「穴」を利用した、前代未聞の延命シナリオだった。この記事では、なぜ伊東市民が選んだ代表者たちの声がたった一人の市長によって踏みにじられるのか、その絶望的な構造と、これから起こりうる悪夢の展開を徹底的に解説する。民主主義の根幹を揺るがすこの茶番劇、あなたは見届ける覚悟があるだろうか。
伊東市議選後に待ち受ける3つの絶望 田久保市長はなぜクビにならないのか
民意は示された。だが、それはスタートラインに過ぎなかった。市議選で「反田久保派」が圧勝したところで、肝心の市長がその結果を無視すれば全てが無に帰す。一体なぜ、こんな理不尽がまかり通るのか。そこには、法律の不備と、それを最大限に利用しようとする者のしたたかな計算、そして失うものが何もない人間の恐るべき開き直りが存在している。
市民の願いも虚しい「反田久-保派」圧勝の無力さ
今回の伊東市議選の争点は、火を見るより明らかだった。「田久保市長の信任か、不信任か」。その一点に尽きる。結果、定数20のうち、市長の不信任を突きつける意思を持つ候補者が圧倒的多数を占める見込みだ。常識で考えれば、これは市長への明確な「ノー」。ゲームセットである。しかし、この選挙結果は、いわば「王手」をかけたに過ぎない。将棋と違い、相手が「投了」しなければ、つまり自ら辞めるか、ルールに則って失職させなければ勝負は終わらないのだ。市民がどれだけ「もう辞めてくれ」と叫ぼうが、その声は肝心の本人には「雑音」程度にしか聞こえていないのかもしれない。議会勢力図という数字上の優位性が、いかに無力であるかを市民はこれから思い知らされることになる。
不信任決議を回避する地方自治法の致命的な欠陥
市長を引きずり下ろす唯一の合法的な手段は、新たな議会による「不信任決議の再可決」だ。だが、この必殺技を繰り出すためには、まず「臨時議会」という土俵に上がらなければならない。そして驚くべきことに、この土俵開きの権限を握っているのが、他ならぬ田久保市長本人なのである。地方自治法は、議員からの請求があれば首長は20日以内に臨時会を招集する「義務」を課している。しかし、この義務を無視した場合の罰則規定が存在しない。つまり、「やりません」とゴネてしまえば、それでおしまい。まるで「宿題をやりなさい」と親に言われても、「嫌だ」と答えればそれ以上どうにもならない子供の理屈が、市政という公の場でまかり通ってしまうのだ。この法律の穴は、善良な首長を前提に作られた性善説の産物であり、悪意を持った人間にとっては、まさに「独裁」を許す裏口となっている。
刑事告発された市長が選ぶであろう唯一の道
田久保市長がただの「お騒がせ市長」であれば、まだ話は早い。しかし、彼女の背後には学歴詐称疑惑に端を発する公選法違反、地方自治法違反、さらには偽造有印私文書等行使の疑いなど、ずらりと並んだ刑事告告発が控えている。これらすべて、受理済みだ。もし市長という「公職」の鎧を脱げば、待っているのは警察からの任意の出頭要請、そして最悪の場合、逮捕・拘束というシナリオだ。一般人になればただの「被疑者」である。そう考えれば、彼女が一日でも長く「市長」の椅子にしがみつこうとする動機は痛いほど理解できる。それは市政のためでも、市民のためでもない。ただひたすらに、自身の身を守るための時間稼ぎ。そのために法律の穴を利用し、議会を機能不全に陥らせることなど、彼女にとっては取るに足らない選択肢なのかもしれない。
市長が臨時会を拒否できる驚愕のカラクリとその影響
「ルールを守らない人間には、ルールは無力である」。この当たり前の事実が、伊東市政を前代未聞の危機に陥れている。市長が臨時会を拒否するという「禁じ手」を使った場合、議会も市民も、ただ手をこまねいて見ていることしかできないのか。その恐るべきシナリオを具体的に見ていこう。
罰則なし「開かなくてもお咎めなし」という無法地帯
前述の通り、地方自治法101条には、首長が臨時会招集の請求を拒否した場合の罰則がない。これは単なる法律の不備というより、もはや「欠陥」と呼ぶべきレベルだ。行政のトップが法で定められた義務を放棄しても、何のお咎めもない。こんなことが許されるなら、法律とは一体何なのだろうか。市民は税金を納める義務を負い、それを怠れば延滞金という罰則が科される。しかし、その税金から給料を得ている市長は、義務を放棄してもペナルティなし。この不公平極まりない構造が、市長の「居座り」を可能にする最大の要因となっている。まさに、市政は市長一人の気分次第で動く「無法地帯」と化す危険性をはらんでいるのだ。
議長不在で打つ手なし 市長1人に蹂躙される議会機能
「首長がダメなら議長が招集すればいいじゃないか」。そう考えたあなた、鋭い。2012年の地方自治法改正で、首長が招集しない場合は議長が招集できるようになった。だが、ここにも巧妙な罠が潜んでいる。議会を解散させたのは誰だったか? そう、田久保市長だ。解散によって、現在の伊東市議会に「議長」は存在しない。新たな議長は、臨時会が開かれて初めて選出される。つまり、「臨時会が開かれないと議長が選べない」→「議長がいないから市長の代わりに臨時会を招集できない」という、完璧な詰みの状態、悪魔の無限ループが完成してしまっているのだ。市長一人が「やらない」と決めれば、議会はその第一歩すら踏み出せず、完全に機能を停止させられてしまう。まさに、民意を代表するはずの議会が、たった一人に蹂躙される瞬間である。
国も県も手を出せない 首長権限という名の独裁スイッチ
こうなると、「もっと上の機関、県や国が何とかしてくれないのか」と期待したくなるのが人情だ。しかし、その期待も虚しく裏切られる。地方自治の原則は、国や県からの過度な干渉を許さない。かつて地方自治法の改正案が検討された際、議長不在の場合に知事や総務大臣が議会を招集できるという案があったものの、地方からの反対で見送られた経緯がある。その結果が、今回の伊東市のような異常事態を招いてしまった。総務省に問い合わせても「現行法ではどうにもできない」という無慈悲な回答が返ってくるだけだ。行政指導や是正勧告はできても、強制力はない。つまり、市長が「聞く耳持たぬ」と決め込んでしまえば、国も県も高みの見物を決め込むしかない。選挙で選ばれた首長の権限とは、使い方を誤れば「独裁スイッチ」にもなり得る、恐ろしい諸刃の剣なのである。
伊東市職員が仕掛けた起死回生の一手 その成功確率を徹底分析
このまま市長のやりたい放題を許してなるものか。絶望的な状況の中、一縷の望みを託し、伊東市の行政サイド、つまり職員たちが動いた。彼らは、市長が「法律の穴」という悪魔の囁きに気づく前に、先手を打って臨時会開催を既成事実化しようと試みたのだ。これは、沈みゆく船から必死で水をかき出すような、悲壮感漂う賭けと言えるだろう。
市議選前の「臨時会開催決定」という異例の賭け
通常、臨時会の日程は、新たな議員の顔ぶれが決まった後に、議員側からの請求を受けて決定される。しかし、伊東市は市議選の投開票日すら迎えていない10月10日に、「臨時会を10月31日に招集する方針」を決定するという異例中の異例の手段に打って出た。これは、田久保市長本人も出席する政策会議の場で決定されたという。台風被害の復旧費用など、緊急性の高い議案があることを理由に、「市長、いくらなんでも臨時会を開かないわけにはいきませんよね?」という外堀を埋め、市長本人に「はい」と言わせるための巧妙な罠だ。市の未来を憂う職員たちの、最後の抵抗と言えるかもしれない。
悪知恵は弁護士から? 市長の翻意を招く2つのリスク
しかし、この職員たちの作戦がすんなり成功するほど、事態は甘くない。一度は「開催します」と頷いたかもしれないが、その決定が告示されるのは24日。それまでに、市長が翻意する時間は十分にある。田久保市長の周辺には、当然、法律の専門家である顧問弁護士らがいるだろう。彼らが地方自治法の条文を丹念に調べ、「市長、実は臨時会を開かなくても罰則はないんですよ。議長もいないから、誰もあなたを止められません」と入れ知恵しない保証はどこにもない。むしろ、そう助言するのが彼らの「仕事」かもしれない。市長の「延命」という目的のためには、市の職員との約束など、紙くず同然に破り捨てる可能性は極めて高い。
既成事実化は通用するのか 過去の言動から読む市長の本音
そもそも、田久保市長がこれまで見せてきた言動を振り返れば、彼女が市の決定や世論の圧力に素直に従うとは到底考えにくい。自身の学歴詐称疑惑に対して「経歴詐称ではない」と強弁し、不信任決議を突きつけられれば「議会が審議を放棄した」と責任転嫁して解散に打って出る。その全ての行動原理は、「自己保身」と「責任回避」に集約される。そんな人物が、自らの失職に直結する臨時会の開催を、市の職員に促されたからといって唯々諾々と受け入れるだろうか。答えは限りなく「ノー」に近いだろう。10日の決定は、あくまで嵐の前の静けさ。告示日である24日、あるいは開催当日の31日になって、「やっぱりやめます」と平然と言ってのける姿が目に浮かぶようだ。
田久保劇場はいつ終わるのか 今後のシナリオ3パターンを予測
出口の見えない「田久保劇場」。この混乱は一体いつまで続くのか。伊東市民の疲弊はピークに達しているが、残念ながら終幕の時期は依然として不透明だ。考えられる今後の展開を、希望的観測から最悪の事態まで、3つのシナリオに分けて予測してみよう。
シナリオ1 最速での失職(10月31日臨時会開催)
これは、伊東市職員と市民にとって最も望ましいシナリオだ。田久保市長が何らかの奇跡、あるいは良心の呵責によって翻意することなく、市の決定通り10月31日に臨時会が開催される。そして、新議長選出後、速やかに不信任決議案が再可決され、市長は即日失職。その後、50日以内に市長選が行われ、年内には伊東市に新たなリーダーが誕生する。…と、ここまで書いてみて、あまりの順調さに現実味を感じられないのは筆者だけだろうか。これは、もはや「シナリオ」というより「願望」に近いかもしれない。
シナリオ2 延命成功(12月定例会まで引き延ばし)
こちらが、最も現実的なシナリオかもしれない。市長が臨時会の招集を拒否し、だんまりを決め込む。議会も市民も手出しができず、時間だけが過ぎていく。そして、法律で定められた次の議会、つまり12月1日から始まる「定例会」まで、市長は安々とその座に居座り続ける。もちろん、12月定例会で不信任決議が可決されれば失職は免れないが、それでも1ヶ月以上もの「延命」に成功することになる。その間、市政は停滞し、緊急を要する補正予算の承認も遅れる。市民生活へのダメージは計り知れないが、市長にとっては貴重な時間稼ぎとなるだろう。
シナリオ3 泥沼の長期戦と避けられない市長選の行方
いずれ失職が避けられないとしても、物語はそれで終わりではない。田久保市長は、次の市長選への出馬をほのめかしている。そうなれば、選挙戦は泥沼の様相を呈するだろう。市長選には、前回約1800票差で敗れた前市長の小野達也氏や、市議選を見送った前市議の杉本憲也氏らの名が挙がっている。田久保氏が「不当な議会によって職を追われた悲劇のヒロイン」を演じ、自身の正当性を訴えれば、一定数の支持者が集まる可能性も否定できない。人口約6万4000人の街の選挙が、再び全国的な注目を集めるスキャンダラスな戦いとなることは間違いない。伊東市の混乱は、年を越えて続くことになるだろう。
まとめ 伊東市民に残された道は独裁者の決断を待つことだけなのか
結局のところ、伊東市の運命は、田久保市長という一個人の胸先三寸に委ねられてしまった。市議選という民主的な手続きで示された民意さえも、法律の不備を盾にすれば簡単に無視できてしまう。この現状は、伊東市だけの問題ではない。日本の地方自治が抱える構造的な欠陥を、まざまざと見せつけている。
市職員たちは「猫の首に鈴をつける」思いで、必死に臨時会開催への道筋をつけた。しかし、その鈴はあまりに脆く、猫が少し暴れただけでちぎれてしまいそうだ。私たちは、ただ固唾をのんで、市長が24日の告示までに態度を豹変させないことを祈るしかない。
市民にできることは何なのか。声を上げ続けること、関心を持ち続けること、そして、いずれ必ずやってくる市長選で、賢明な一票を投じること。それ以外に、この理不尽な「劇場」の幕を引く方法はない。今はただ、主役の気まぐれな決断を待つしかないという、屈辱的な現実を受け入れるしかないのだろうか。伊東市の民主主義が、今まさに試されている。

 
			 
			 
			 
			 
			 
			 
			