前橋市長 小川晶の口封じ工作が発覚 知事暴露で明らかになった権力の闇

黒いスーツを着用し、真剣な表情でカメラを見つめる前橋市長・小川晶氏の胸上の肖像。彼女の背後には、ネオンの縁取りとハートの装飾が施された、鮮やかなピンク色のラブホテルが合成されている。ホテルには「hotel」の文字と王冠のようなマークが見える。

もはや「つける薬がない」とは、まさにこのことだろう。ラブホテル不倫疑惑で説明責任から逃げ回り、市民の信頼を地に叩き落とした前橋市の小川晶市長(42)。その彼女が、あろうことか、疑惑追及の声を封じ込めるため、群馬県の山本一太知事(67)に対し、水面下で「口封じ工作」を行っていたという衝撃の事実が発覚した。

権力の座にすがりつく者は、往々にして常軌を逸した行動に出るものだが、小川市長のやり口はあまりにも姑息であり、稚拙だ。これは単なる政治スキャンダルではない。有権者である前橋市民の声を、ひいては県知事という公人による正当な批判すらも力でねじ伏せようとする、民主主義の根幹を揺るがす暴挙である。

ラブホテルに10回通った事実は認めるも、「男女の関係は一切ない」「公務の相談だった」などという、小学生でも信じないような苦しい言い訳を繰り返してきた小川市長。その舌の根も乾かぬうちに、今度は批判の声を上げる者の口を塞ごうと画策していたのだ。

山本一太知事の怒りのブログによって白日の下に晒された、そのおぞましい工作の全貌。この記事では、小川晶市長がいかにして市民の信頼を裏切り、自らの保身のために権力を私物化しようとしたのか、その「つける薬がない」姑息な手口を徹底的に断罪する。

目次

山本一太知事が激怒 姑息な口封じ工作の全貌

今回の衝撃的な事実が明るみに出たのは、他ならぬ群馬県のトップ、山本一太知事自身のブログだった。10月19日に更新された『知事の発言を封じ込めるための姑息な動きが発覚!〜角田義一氏の元秘書は誰に何を頼んだのか?!』と題された記事は、小川市長サイドがいかに卑劣な手段に打って出たかを克明に記録している。

山本知事が「不愉快に感じるより先に」「ああ、問題へのアプローチの方法も優先順位も、根本的に間違っているよなあ!」と呆れかえるほどの、その愚かな工作。権力の座に酔いしれ、市民の目線を見失った政治家の末路がここにある。

発覚の舞台裏 前橋祭りの日に動いた黒い影

その「姑息な働き」が行われたのは、皮肉にも多くの市民で賑わう「前橋祭り」の日のことだった。この事実は、市民が祭りで一体感を育んでいるその裏で、市長サイドが市民の信頼を裏切る密談を進めていたことを示しており、その悪質性を際立たせている。

山本知事のブログによれば、知事の亡父の代からの熱心な支持者であり、後援会の重鎮である幹部のもとに、一本の電話が入った。「小川市長の関係者」を名乗る人物が、面会を求めてきたというのだ。この「関係者」が、ブログタイトルにもある「角田義一氏の元秘書」であることは想像に難くない。角田氏といえば、小川市長がかつて秘書を務めた人物。まさに「身内」中の身内を使った、組織的な動きであることは明白だ。

「知事に発言させないでくれ」驚愕の要求内容

後援会幹部が応対すると、その「小川市長関係者」は、信じがたい要求を口にした。

小川市長のラブホ問題についてこれ以上発言しないよう、山本知事に頼んでもらえないか?

耳を疑うとはこのことだ。これは、県知事という公人に対し、正当な言論活動、正当な問題提起を「やめさせろ」と圧力をかけるに等しい行為である。小川市長は、自らの不祥事に対する県トップからの厳しい指摘を、「雑音」としか捉えていなかったのだ。自らの行いを猛省し、市民に謝罪し、説明責任を果たすことよりも、自分にとって都合の悪い「発言」そのものを封じ込めることを選んだ。この一点だけでも、彼女に市長の資格がないことは明らかだ。

後援会幹部が一蹴「知事の言っていることは正しい」

だが、小川市長サイドの浅はかな目論見は、ここで打ち砕かれる。長年、山本知事の政治姿勢を見てきた後援会幹部は、この無礼千万な要求に対し、即座にこう言ってのけた。

いや、私は知事の言っていることは正しいと思っている。そんなことは出来ない!

まさに正論。良識ある人間の当然の反応だ。この幹部の毅然とした対応は称賛に値するが、問題は、小川市長サイドがこのような「口止め」が通用すると本気で考えていたことにある。彼らは、政治の世界とはすべてが密室での「貸し借り」や「圧力」で動くとでも思っているのだろうか。市民感覚とのこの絶望的なまでの乖離こそが、小川市長が「つける薬がない」と断じられる最大の理由である。

このエピソードを知った山本知事の怒りは、当然ながら頂点に達した。「なるほど」と知事はブログに綴る。これまでの噂が、この一件で確信に変わったのだ。

小川晶市長の終わらない隠蔽体質 その5つの問題点

今回の「口封じ工作」の発覚は、氷山の一角に過ぎない可能性が高い。山本知事が指摘するように、この姑息な動きは、小川市長の「隠蔽体質」と「保身第一主義」がもたらした必然的な帰結なのである。ラブホ問題発覚当初から現在に至るまで、彼女の対応には一貫して、市民を愚弄する5つの深刻な問題点が存在する。

問題点1 噂は本当だった 水面下の広範な工作活動

山本知事は、今回の件を受け、「“小川市長が、市議を含む関係者に電話をかけまくっている”という噂、本当かもしれない!!(苦笑)」と喝破した。笑い事ではない。もしこれが事実であれば、小川市長は自らの延命のために、市の最高議決機関である市議会に対しても、不当な圧力をかけ、懐柔しようとしていたことになる。

これは、市長という立場を利用した、議会へのあからさまな介入であり、三権分立の精神を踏みにじる暴挙だ。自分に批判的な議員には圧力をかけ、賛同する議員には「公約の実現」をチラつかせて取り込む。そうした水面下での多数派工作が、本当に行われていたのではないか。知事への口封じが実行された以上、市議会に対して同様の、あるいはそれ以上に陰湿な工作が行われていたと考えるのが自然だ。

問題点2 優先順位の完全な履き違え

山本知事が「ああ、問題へのアプローチの方法も優先順位も、根本的に間違っているよなあ!」と嘆息した通り、小川市長は根本的な「順序」を間違えている。

不祥事を起こした政治家が真っ先に行うべきは、何か。それは、批判の封じ込めではない。自らの延命工作でもない。ただひたすらに、事実を包み隠さず公表し、有権者である市民に対し、誠心誠意、説明責任を果たし、謝罪することだ。

しかし、小川市長は真逆の行動に出た。市民への説明は「男女関係はなかった」の一点張りで打ち切り、その裏では、自分への批判を抑え込むために奔走していた。市民の信頼回復よりも、自らの「ポスト」を守ることを最優先した。この優先順位の倒錯こそが、彼女の政治家としての致命的な欠陥である。

問題点3 政治家以前の人間としての資質欠如

山本知事は、この工作を知った時の心境を「“不愉快に感じる”より先に、(中略)と思わずにはいられなかった。(ガクッ)」と表現した。この「ガクッ」という言葉に、知事の深い失望と、小川市長への軽蔑が凝縮されている。

これはもはや、政治手法や政治信条の問題ではない。人として「嘘をつかない」「過ちを犯したら誠実に謝る」という、最低限の倫理観、道徳観が欠如しているのではないか。ラブホテルに10回通いながら公務の相談」と言い張り、それが通用しないと見るや、今度は批判者の口を塞ごうとする。こんな人物が、40万市民の未来を預かる「市長」の椅子に座り続けていること自体が、前橋市にとっての悲劇である。

問題点4 口封じが示す「独裁者」の萌芽

言論を封殺しようとする行為は、独裁者の第一歩である。自分に都合の悪い情報を隠蔽し、批判的なメディアや人物を攻撃し、沈黙させようとする。小川市長が今回行おうとした「知事への口止め」は、まさにその萌芽と言える。

彼女は、自分を批判する山本知事や一部メディア、そして多くの市民の声を「自分たちの政策推進を邪魔する勢力」とでも認識しているのではないか。だからこそ、「公約を一日でも早く果たしてほしいという市民の言葉」という“ごく一部”の(本当に存在するのかも怪しい)声だけを盾にして、続投を正当化しようとするのだ。自分に賛同する声だけが「市民の声」であり、批判は「雑音」でしかない。この選民思想、独善的な姿勢こそが、今回の姑息な口封じ工作の根底にある。

問題点5 市民の知性を侮辱する「言い訳」の数々

そもそも、ラブホ問題発覚当初からの小川市長の対応は、市民の知性を著しく侮辱するものだった。既婚者の部下と二人きりで、なぜ密室であるラブホテルに10回も入る必要があったのか。「公務の相談」というが、市役所やカフェではできない、よほど密な相談とは何だったのか。その具体的な内容については、未だに何一つ明らかにされていない。

男女関係はなかった」と強弁すれば、市民が「ああ、そうだったのか」と納得するとでも思ったのだろうか。この「言い訳」が通用しないと分かると、今度は「減給50%」という自己処罰でお茶を濁し、ほとぼりが冷めるのを待とうとした。そして、その裏で口封じに走る。これほど市民を馬鹿にした話があるだろうか。

ラブホ問題から1か月 辞任しない市長の厚顔無恥

ラブホ騒動が発覚してから、早1か月が経とうとしている。常識的な感覚を持つ政治家であれば、疑惑が報じられた時点、あるいは「公務の相談」という苦しい言い訳が世間の失笑を買った時点で、自ら職を辞するのが筋というものだ。しかし、小川市長は違った。その厚顔無恥とも言える居座りの姿勢は、一体どこから来るのだろうか。

誰も信じていない 山本知事が続ける痛烈な批判

山本知事は、今回のブログ以前から、記者会見や自身の発言の場で、小川市長の対応を厳しく批判し続けてきた。「かなり厳しい言い訳」「申し訳ないが、誰も信じていない」という知事の言葉は、まさに県民、市民の総意を代弁するものだ。

県政のトップである知事が、ここまで明確に「信じていない」と断言するのは異例中の異例である。それは、小川市長の言い分が、あまりにも非論理的で、誠意のかけらも感じられないからに他ならない。知事は、公務でベトナムに向かう機内という貴重な時間を使ってまで、この問題についてブログを綴らなければならなかった。県政の運営に日々奔走する知事にとって、県都・前橋市の市長が引き起こしたこの低レベルなスキャンダルに付き合わされること自体が、時間の無駄であり、県益を損なう行為だと感じているのだろう。その怒りと苛立ちは、県民の感情と完全にシンクロしている。

減給50%で続投?市民を愚弄する幕引き宣言

小川市長は、この期に及んで「続投」を宣言した。その理由として挙げたのが、「ごく一部」の「公約を一日でも早く果たしてほしいという市民の言葉」が後押しとなった、というものだ。

一体、その「ごく一部の市民」とは誰なのか。ラブホに10回通う市長が実現する「公約」とは、どれほどの価値があるというのか。大多数の市民が感じているであろう「疑惑への説明責任を果たせ」「市長として恥ずかしいから辞めてくれ」という声は、彼女の耳には届かないらしい。

減給50%という「処分」も、笑止千万だ。自らの進退は自らで決める、というのなら、それは「辞任」以外にはあり得ない。減給すれば済む問題ではないのだ。金銭の問題ではなく、市長としての「信頼」と「倫理観」が問われているのである。この「減給で幕引き」という発想自体が、問題を矮小化し、市民を欺こうとする浅はかな魂胆の表れである。

なぜ彼女は辞めないのか その権力への執着

では、なぜ小川市長は、ここまで市民や県知事から厳しい批判を浴びながらも、その座にしがみつくのか。理由は単純明快だろう。「公約の実現」などというのは、後付けの建前に過ぎない。

答えは、一度手にした「市長」という権力と名誉、そしてそれに伴う利権を手放したくないからだ。ただそれだけではないか。自らの過ちを認め、辞任するということは、自らの政治家生命、いや、社会的なキャリアに大きな傷がつくことを意味する。それを極端に恐れる「保身」の心。そして、「自分は間違っていない」「自分はまだやれる」という、根拠のない万能感と独善性。

これらの醜い感情が、彼女を市長の椅子に縛り付けているのだ。しかし、彼女が居座れば居座るほど、前橋市の名は「ラブホ市長」という不名誉なレッテルと共に全国に知れ渡り、市民が受けるダメージは計り知れないものとなる。

前橋市民よ怒れ 小川市長に突きつける最後の正論

もはや小川晶市長が、自ら襟を正し、市民の信頼を回復する道は完全に閉ざされたと言っていい。ラブホ問題での虚偽答弁(疑惑)、そして今回の口封じ工作。二度にわたる致命的な裏切り行為は、取り返しがつかない。

今、彼女に突きつけるべきは、山本一太知事がブログの最後に記した、あまりにも真っ当な「正論」だけである。

知事が突きつけた核心「現実を受け入れろ」

山本知事は、小川市長が今やるべきことについて、こう断罪している。

自分たちにとって都合の悪い発言を抑えることではない!!そんなことを考える前に、先ずは『大多数の市民の声』に逃げずに向き合い、説明責任を尽くし、現実を受け入れることだ!!

これ以上の正論があるだろうか。小川市長が向き合うべきは、知事の後援会幹部でも、懐柔できるかもしれない市議でもない。「大多数の市民の声」だ。その声から逃げ、耳を塞ぎ、挙げ句の果てに声を上げる者の口を塞ごうとする者に、市長の資格はない。

「現実を受け入れろ」という知事の言葉は重い。小川市長が受け入れるべき「現実」とは、「あなたの言い訳を信じている市民はほぼいない」という現実であり、「あなたの市長としての信頼は完全に失墜した」という現実であり、そして「あなたはもはや前橋市長の任にない」という現実である。

失墜した信頼 回復の道はもはやない

この「口封じ」工作の発覚で、信頼はますます失墜した。いや、「失墜」という生易しい言葉では足りない。「蒸発」したと言っていい。

もし、ラブホ問題発覚直後に、誠心誠意の謝罪と説明(たとえそれがどのような内容であれ)があれば、100万歩譲って再起の可能性もゼロではなかったかもしれない。しかし、彼女は最悪の選択をし続けた。嘘に嘘を重ね、問題を矮小化し、最後は言論弾圧まがいの行動に出た。

こんな市長のもとで、前橋市の職員は士気高く働けるだろうか。こんな市長をトップに戴いて、前橋市は他の自治体と対等な交渉ができるだろうか。答えは「」だ。小川市長が一日長くその座に居座るごとに、前橋市政は停滞し、市民の誇りは傷つけられていく。

前橋市民の良識が今こそ問われている

山本知事の“正論”は、そのまま市民の怒りの声を代弁するものとなっている。しかし、怒りの声を上げるだけでは、この「つける薬がない」市長は辞めないだろう。

彼女が唯一恐れるもの、それは「大多数の市民」による具体的な「NO」の意思表示だ。リコール運動なのか、市議会への働きかけなのか、手段は様々あろう。だが、このまま沈黙を守れば、小川市長は「市民は続投を容認した」と、またしても都合の良い解釈を続けるだけだ。

小川晶市長の姑息な口封じ工作は、彼女自身がもはや民主主義のルールの上で政治を行う資格がないことを自ら証明してしまった。前橋市民の良識と行動力が、今まさに問われている。

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