映画史において、これほどまでに呪われた運命をたどった作品を私は他に知りません。1973年に世界を震撼させた傑作ホラー、エクソシスト。その伝説の始まりを描く前日譚として企画されながら、撮影現場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化しました。
監督の急逝、主要キャストの離脱、そして完成した映画を丸ごとボツにして全編撮り直すという狂気の決断。なぜ2004年公開のエクソシスト ビギニングは、これほどまでに歪な怪物となってしまったのか。
本記事では、公開から20年を経てなお語り継がれる製作トラブルの全貌、失われたもう一つのバージョンであるドミニオンとの決定的な違い、そして劇中に隠された不可解な謎まで、ネット上のどこよりも深く、鋭く、徹底解説します。これは単なる映画レビューではありません。ハリウッドの商業主義がクリエイターの魂を蹂虙した、壮絶な事故現場の全記録です。
1. エクソシストビギニングの正体|2004年に放たれた呪われた前日譚
映画エクソシスト ビギニングは、シリーズ第1作で悪魔パズズと死闘を繰り広げたランケスター・メリン神父の若き日を描く物語です。舞台は1949年、イギリス領東アフリカのケニア。第二次世界大戦で信仰を失い、考古学者に転身したメリンが、地中に埋設された謎のビザンチン教会を発掘する中で、太古から眠る邪悪な存在を呼び覚ましてしまう過程を描きます。
しかし、この映画の真の恐怖はスクリーンの中ではなく、その舞台裏にありました。当初の目的であった精神的な恐怖を描く試みはスタジオによって拒絶され、商業的な成功を焦るあまりにプロジェクトは迷走を極めました。結果として、この作品は映画製作における反面教師として語り継がれることになったのです。
2. ビギニング対ドミニオン|同じ素材から生まれた2つの結末
本作の最大の特徴は、同じ主演俳優、同じセットを用いながら、監督と脚本が異なる2つの映画が存在することです。スタジオの介入によって生まれたビギニングと、後に日の目を見たシュレイダー版ドミニオンの違いを比較表でまとめました。
| 比較項目 | レニー・ハーリン版(ビギニング) | ポール・シュレイダー版(ドミニオン) |
| コンセプト | 視覚的ショック・エンタメ重視 | 心理的恐怖・信仰の葛藤を重視 |
| 悪魔の憑依先 | 女性医師サラ(ビジュアル重視) | 足の不自由な青年チェチェ(精神性重視) |
| 恐怖の演出 | CGのハイエナ、過度な特殊メイク | 静謐な演出、人々の心の隙間に潜む悪 |
| 結末の印象 | 物理的な死闘とカタルシス | 信仰を取り戻すまでの静かな対話 |
この対照的な2作の存在こそが、本作を映画史上稀に見る研究対象へと押し上げているのです。
3. 製作トラブルの深淵|監督交代と100億円規模の撮り直し
本作を語る上で避けて通れないのが、映画史に残る凄惨な製作トラブルです。このプロジェクトには、関わった者を次々と飲み込む負の連鎖が存在しました。
第1章:巨匠フランケンハイマーの急逝
最初に監督に就任したのは、影なき狙撃者などで知られる重厚なアクションの巨匠ジョン・フランケンハイマーでした。しかし、クランクインを目前に控えた2002年、彼は脊髄手術の合併症により急逝するという不慮の事態に見舞われます。
これによりプロジェクトは最初の呪いに直面し、主演予定だったリーアム・ニーソンも降板を余儀なくされました。製作の基盤は崩壊し、暗雲が立ち込めました。
第2章:シュレイダー監督の解雇とお蔵入り
次に白羽の矢が立ったのは、タクシードライバーの脚本家として知られるポール・シュレイダーでした。彼はスタジオの意向を無視し、血飛沫やジャンプスケアを排除した、信仰とトラウマに焦点を当てた静かな宗教ドラマを完成させます。
ところが、完成した映像を見たスタジオ幹部は激怒しました。この内容では観客が呼べないと一方的に判断し、なんと完成した映画を丸ごとボツにしてお蔵入りにするという暴挙に出たのです。
第3章:レニー・ハーリンによる強行突破
絶望的な状況下で、スタジオはダイ・ハード2のヒットメーカーであるレニー・ハーリンを招聘しました。シュレイダー版の映像を一切使わず、脚本を派手なアクション寄りに書き換え、キャストを一部変更。
莫大な予算を追加投入して、全編を最初から撮り直すという映画史上稀に見る強行軍に出ました。これが現在、一般的に知られているエクソシストビギニングの正体です。
4. あらすじ完全ネタバレ|アフリカの地で目覚める悪魔パズズ
物語は、ナチス占領下のオランダでメリンが経験した地獄から幕を開けます。教会の神父であった彼は、ナチスの将校から、10人の村人を救うために自らの手で別の10人を選んで処刑せよという究極の選択を迫られます。この凄惨な経験によりメリンは神への信頼を完全に喪失しました。
数年後、考古学者としてエジプトにいたメリンは、ケニアのトゥルカナ地方で発見された5世紀の教会の調査を依頼されます。その教会は、キリスト教が伝来するはるか以前に建てられたものでありながら、完成直後に土に埋められた形跡がありました。
発掘が進むにつれ、周囲では異変が相次ぎます。生まれたばかりの子供は蛆にまみれ、ハイエナは共食いを始め、現地の部族とイギリス駐留軍の間には一触即発の殺気が漂います。教会の真下には、かつてルシファーが地上に堕ちた場所とされる異教の神殿が存在していました。
クライマックスでは、メリンが同行していた女医サラに憑依した悪魔パズズと対峙します。ハーリン版では、この対決は派手な物理攻撃とCGを駆使したアクションとして描かれます。メリンは土壇場で信仰を取り戻し、悪魔祓いの儀式を執り行うことでサラの魂を救おうとしますが、彼女は力尽き、メリンだけが一人、戦いの中に残されるのでした。
5. なぜ駄作と呼ばれながらカルト化したのか
公開当時、批評家たちの反応は極めて冷ややかなものでした。特に批判が集中したのは以下のポイントです。
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粗すぎるCG演出:特に人間を襲うハイエナの群れは、当時の水準で見ても不自然で、恐怖を削ぐ結果となりました。
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オリジナルへの冒涜:1973年版が持っていた、静かに忍び寄るような精神的恐怖が、安っぽいショック描写に置き換えられたことへの反発。
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継ぎ接ぎの脚本:撮り直しの過程でプロットが迷走し、キャラクターの行動原理に一貫性が欠けていました。
しかし、その歪さこそが本作を唯一無二のカルト映画へと押し上げました。名優ステラン・スカルスガルドが、混乱する現場の中で見せる苦悩に満ちた表情は、役柄を超えた本物の疲弊を感じさせ、映画全体の不穏な空気感を高めています。
6. 日本公開時の真相とTASUKETEの謎
2004年当時の日本は、Jホラーブームの真っ只中でした。着信アリや感染といった作品がヒットする中、アメリカ流の派手なホラーは苦戦を強いられました。興行収入は約2億円弱と、大作シリーズとしては寂しい結果に終わっています。
特筆すべきは、日本のファンの間で語り草となっているTASUKETEの文字です。ナイロビの病院のシーンで、背景の壁に堂々と日本語のローマ字で助けてと書かれた紙が貼ってあります。これは第1作へのオマージュ、あるいは撮影現場の混乱による小道具の流用ミスと言われていますが、その場違いな日本語の存在が、映画の不気味さを意図せぬ方向で加速させています。
7. 俳優ステラン・スカルスガルドの告白:同じ役を2度演じる精神的摩耗
ステラン・スカルスガルドにとって、本作の経験は「俳優としての技術」以上に「精神的な忍耐」を試されるものでした。彼は後に複数のインタビューで、この前代未聞の事態について驚くべき回想をしています。
演出の全否定という屈辱
スカルスガルドは、最初のシュレイダー監督版(ドミニオン)で築き上げた、静謐で内省的なメリン神父の演技を気に入っていました。しかし、レニー・ハーリン監督による撮り直しが決定した際、彼は「全く同じシーンを、全く異なるトーンで、別の役者と演じ直す」ことを強いられました。 彼はこの経験を「自分の脳を半分に引き裂くような作業だった」と語っています。シュレイダー版では、悪魔はメリンの「罪悪感」を利用していましたが、ハーリン版では「物理的な脅威」として描かれます。同じセリフを言いながら、相手の反応が180度異なる現場で、彼は俳優としてのアイデンティティを保つために、あえて「疲弊した表情」をそのまま演技に流用したと推察されます。
なぜ彼は降板しなかったのか
主役の交代は珍しくないハリウッドで、彼が残ったのはひとえに「プロ意識」と、シュレイダー版をいつか世に出したいという「映画への愛」からでした。彼は後に「2つの映画を同時に背負ったことは、私のキャリアの中で最も奇妙で、最も過酷な試練だった」と総括しています。
8. 消えたケニアのセット:砂漠に消えた1億ドルの残骸
本作の舞台となった1949年のケニア・トゥルカナ地方のセットは、実はモロッコやローマのチネチッタ・スタジオ、そして南アフリカなど、複数の場所を組み合わせて構築されました。
放置された「蓋」としての教会
シュレイダー版のために莫大な予算をかけて建設された「逆さまのビザンチン教会」のセットは、ハーリン版の撮り直しに際して、一部が再利用されましたが、多くは廃棄・改修されました。 特にモロッコの砂漠地帯に建設された屋外セットは、撮影終了後に地元の管理体制から外れ、過酷な自然環境にさらされました。映画の中の教会が「悪魔を封じ込めるための蓋」であったように、撮影後のセットもまた、商業的失敗という不名誉な記憶と共に砂の中に埋もれていったのです。
映画製作の墓場
現在、それらのセットは完全に解体されているか、風化して形を留めていません。ハリウッドが「成功」のために注ぎ込んだ数千万ドルの美術費は、映画が公開される頃には砂漠の塵となり、文字通り「呪われたプロジェクト」の残骸として消滅しました。
2つの作品が残した「教訓」と「遺産」
ステラン・スカルスガルドの苦悩と、消えたセットの末路を振り返ると、本作が単なるホラー映画を超えた「ハリウッドの強欲の象徴」であることが浮き彫りになります。
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クリエイティブの断絶: シュレイダー監督が追求した「信仰」というテーマは、セットの再利用という物理的な制約によって、ハーリン版では「ただの背景」へと成り下がりました。
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ビジネスの冷酷さ: スタジオは1億ドル近い損失を避けるために、さらに数千万ドルを投じて「売れるはずの模造品」を作らせました。セットが砂に消えたように、作り手の情熱もまた、資本の論理に飲み込まれたのです。
9. 結論:私たちはどちらのメリンを信じるべきか
スカルスガルドの演技を比較すると、ドミニオンで見せる「静かな絶望」こそが、1973年版のメリン神父(マックス・フォン・シドー)へと繋がる正統な系譜であることが分かります。一方、ビギニングで見せる「戦う神父」の姿は、当時の観客へのサービスが生んだ、歪なパラレルワールドの姿と言えるでしょう。
セットは消え去りましたが、2つの映像は現存しています。俳優が同じ顔で、全く異なる2つの魂を演じ分けた奇跡(あるいは悲劇)は、今後も映画ファンの間で語り継がれるはずです。
エクソシストビギニングは観るべきか
本作は、単体の映画として見れば欠点だらけの作品かもしれません。しかし、映画という表現がいかに資本の論理に翻弄されるかを知るための貴重な教科書でもあります。
もしあなたが映画マニアを自称するなら、ビギニングとドミニオンを連続して鑑賞することを強くお勧めします。同じ役者が、同じセリフを、異なる演出で演じる様を目撃したとき、あなたは演出という魔法の恐ろしさを思い知るでしょう。それは、どんなホラー映画よりもリアルな、人間心理とビジネスの闇を覗き込む体験になるはずです。
