ホラー映画に登場する怪物は、普通、人間を襲うために現れる。
しかし、1987年に公開された『ヘル・レイザー』の怪物たちは、少し事情が違う。
彼らを呼び出すのは、恐怖から逃げたい人間ではない。
もっと強烈な刺激が欲しい。これまで経験したことのない快楽を味わいたい。
そんな人間の欲望が、異世界への扉を開いてしまう。
本作を象徴するのが、頭部に無数の針を打ち込まれた異形の存在、ピンヘッドだ。
その姿を一度でも目にすれば、普通の怪物ではないことが分かる。
ところが、映画を最後まで鑑賞すると、不思議な疑問が残る。
本当に恐ろしいのはピンヘッドなのか。それとも、自分の欲望を満たすためなら他人を犠牲にできる人間なのか。
この映画は、血まみれの特殊メイクだけで語れる作品ではない。
愛情と執着、快楽と苦痛、裏切りと自己破壊。
それらを混ぜ合わせ、従来のホラー映画とは異なる地獄を描き出した作品なのである。
※この記事には物語の結末に関するネタバレを含みます。
『ヘル・レイザー』(1987)の作品情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 邦題 | ヘル・レイザー |
| 原題 | Hellraiser |
| 製作年 | 1987年 |
| 製作国 | イギリス |
| ジャンル | 超自然ホラー、ボディホラー |
| 監督 | クライヴ・バーカー |
| 脚本 | クライヴ・バーカー |
| 原作 | The Hellbound Heart |
| 製作 | クリストファー・フィッグ |
| 撮影 | ロビン・ヴィジョン |
| 編集 | リチャード・マーデン、トニー・ランデル |
| 音楽 | クリストファー・ヤング |
| 特殊メイク | ボブ・キーン |
| クリーチャー造形 | ジョフ・ポーターズほか |
| 製作会社 | ニュー・ワールド・ピクチャーズほか |
| 上映時間 | 約94分 |
| イギリス公開 | 1987年9月11日 |
| アメリカ公開 | 1987年9月18日 |
| 日本初公開 | 1988年3月5日 |
| 日本4K版公開 | 2023年12月8日 |
作品情報はBFI、日本の公式配給サイト、映画.comなどで確認できる。
上映時間については93分、94分、95分という表記が混在するが、日本の4K版公式サイトでは94分となっている。
主なキャスト
| 俳優 | 役名 |
|---|---|
| アシュレイ・ローレンス | カースティ・コットン |
| アンドリュー・ロビンソン | ラリー・コットン |
| クレア・ヒギンズ | ジュリア・コットン |
| ショーン・チャップマン | フランク・コットン |
| オリヴァー・スミス | 復活途中のフランク |
| ダグ・ブラッドレイ | ピンヘッド |
| ニコラス・ヴィンス | チャタラー |
| サイモン・バンフォード | バターボール |
| グレース・カービー | フィメール・セノバイト |
1987年という時代に現れた異質なホラー映画
1980年代はホラー映画の黄金期だった
1980年代のホラー映画を振り返ると、個性的な殺人鬼や怪物が次々と登場していた。
『13日の金曜日』のジェイソン。
『エルム街の悪夢』のフレディ・クルーガー。
『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズ。
彼らは独特の外見や殺害方法によって人気を集め、続編が製作されるシリーズ作品の象徴となった。
もちろん、それぞれに物語の魅力はある。
しかし、この時代の商業ホラーには、怪物が人間を追い詰め、犠牲者を増やしていくという基本構造が多かった。
そこへ登場したのが『ヘル・レイザー』である。
本作は怪物が襲いかかる理由よりも、人間が怪物を呼び出してしまう理由に関心を向けた。
しかも、怪物たちは人間の欲望と無関係な存在ではない。
むしろ、欲望の行き着く先を具現化したような存在として登場する。
恐怖と娯楽の関係を変えた作品
1987年当時、ホラー映画には残酷描写を過激にするだけでなく、笑いやブラックユーモアを取り込む流れもあった。
英国映画協会の映画誌で批評家キム・ニューマンは、本作の特徴として、当時の一部ホラー作品とは対照的な徹底した深刻さを指摘している。
彼は残酷描写についても、単なる安易なスプラッターではなく、舞台の残酷劇を思わせる強烈な表現として評価した。
つまり『ヘル・レイザー』は、血の量だけで観客を驚かせようとした映画ではない。
残酷な光景そのものに、美しさや意味を与えようとしていたのである。
原作『The Hellbound Heart』と映画化の背景
原作者が自分で監督することになった理由
『ヘル・レイザー』の監督クライヴ・バーカーは、もともとホラー小説家として評価されていた人物だ。
短編集『血の本』などによって独自の世界観を築いていたが、映画との関係は順調なものばかりではなかった。
自身の原作が映画化された『アンダーワールド』(1985)や『ロウヘッド・レックス』(1986)の出来に、バーカーは満足していなかった。
そこで、自分の物語を自分で映像化するという選択をする。
2017年の英紙ガーディアンのインタビューでは、過去の映画化に失望したことが監督を目指す動機になったと振り返っている。
ただし、映画監督としての本格的な経験はなかった。
予算も限られていた。
そこで選ばれた原作が、自身の中編小説『The Hellbound Heart』だった。
主な舞台が一軒の家であることは、低予算映画に向いていたのである。
原作と映画では人間関係が変更されている
原作と映画には重要な違いがある。
原作でラリーに相当する人物はロリーという名前で、カースティは彼の娘ではない。
原作のカースティはロリーに思いを寄せる女性として描かれている。
ところが映画では、カースティをラリーの娘という設定に変更した。
これにより物語の中心に、父親を守ろうとする娘と、秘密を抱える継母という家族関係が生まれた。
この変更は単純な脚色ではない。
カースティが事件に巻き込まれる理由が明確になり、ジュリアとの対立にも強い感情的な意味が生まれる。
バーカー本人も当時のインタビューで、父娘関係への変更は製作側の提案だったと説明している。
あらすじ|禁断の箱を開いた男の末路
フランク・コットンは、刺激を求め続ける男だった。
普通の生活では満たされず、世界各地を放浪しながら未知の快楽を追い求めている。
そんな彼が手に入れたのが、不思議なパズルボックスだった。
箱を解くと、現実世界とは異なる空間への扉が開く。
そこに現れたのは、セノバイトと呼ばれる異形の存在たち。
フランクは彼らによって肉体を破壊され、姿を消してしまう。
その後、フランクの弟ラリーが妻ジュリアとともに兄の家へ引っ越してくる。
しかし、ジュリアには夫に隠している秘密があった。
彼女は以前、フランクと肉体関係を持っていたのである。
ある日、屋根裏部屋でラリーが怪我をし、床に血を流してしまう。
その血が、失われたはずのフランクの肉体を呼び戻す。
ただし、復活したフランクは皮膚を失い、筋肉や骨が露出した恐ろしい姿だった。
完全な肉体を取り戻すには、人間の血と肉が必要になる。
フランクはジュリアに協力を求める。
かつての愛人を取り戻したいジュリアは、恐るべき行動を始めるのだった。
クライヴ・バーカーが描きたかった本当の恐怖
怪物よりも人間の欲望を描く
バーカーが目指したのは、ただ人間を殺す怪物の映画ではなかった。
彼は1987年のインタビューで、フランクが未知の経験を求める欲望と、ジュリアがかつての恋人を取り戻したいという欲望を、重要な人物描写として挙げている。
ここが『ヘル・レイザー』を理解するうえで欠かせない。
フランクは怪物に襲われた不運な男ではない。
自分から禁断の領域へ踏み込んだ男である。
一方のジュリアも、悪魔によって操られて殺人を犯すわけではない。
本人が選択し、他人を犠牲にしている。
怪物が人間を悪人に変えるのではなく、人間の内側にあった欲望が、怪物を必要としてしまう。
そこに本作独特の不気味さがある。
セノバイトは単純な悪魔ではない
バーカーは、善と悪を明確に分ける物語にも関心を持っていなかった。
セノバイトたちは、見る者によって悪魔にも天使にも見えるという曖昧な性格を持つ。
彼らにとって快楽と苦痛は、人間が考えるほど明確に分離したものではない。
人間の常識を超えた感覚を追求する存在なのだ。
そのため、ピンヘッドの恐怖は怒りや暴力性だけで成立しているのではない。
人間とはまったく違う価値観で行動していること自体が恐ろしいのである。
制作費90万ドルから生まれた独創的な世界
低予算だから実現した表現
本作の製作費については、資料によって数字が異なる。
バーカー本人は2017年のインタビューで、ニュー・ワールド側から90万ドルの資金を得たと述べている。
一方、興行データサイトThe Numbersでは製作費100万ドルと記録されている。
撮影監督ロビン・ヴィジョンの回想には約200万ドルという数字も登場する。
最終的な総製作費を一つの数字に確定できる資料は、今回確認できなかった。
ただし、低予算で製作されたことは確かである。
限られた資金は、大規模なロケーションや豪華なセットを使えないという制約を生んだ。
しかし、その制約こそが作品の密室的な恐怖につながったとも考えられる。
実際の住宅を使った撮影
撮影にはロンドン北部クリクルウッドの住宅が使用された。
撮影監督ロビン・ヴィジョンによると、撮影期間は約8週間で、室内の場面の多くが実際の住宅で撮影された。
家の壁を自由に外せるスタジオとは違い、カメラの位置や照明の設置には制約があった。
狭い階段や部屋を使った撮影は、技術的には難しい。
しかし映画を観る側には、その狭さが逃げ場のない恐怖として伝わってくる。
屋根裏部屋という日常生活から切り離された場所が、異世界と現実世界を結ぶ空間になっていることも興味深い。
普通の住宅が地獄への入口になる。
この組み合わせが、作品の不気味さを支えている。
特殊メイクと視覚効果|CGがない時代の恐怖
フランクの肉体が再生する場面
『ヘル・レイザー』の映像表現で忘れられないのが、フランクの再生場面だ。
床から血や肉のようなものが集まり、やがて人間の形を作り出していく。
この特殊効果を担当した中心人物がボブ・キーンである。
バーカーの構想を実現するため、特殊メイクや機械仕掛けの効果が使用された。
撮影監督の証言によれば、特殊効果チームには約30人が参加した。
現在ならCGで表現できる場面でも、当時は実際の造形物を製作し、撮影する必要があった。
だからこそ、登場する肉体には独特の存在感がある。
不自然な部分もあるが、そこには実物を撮影したことによる生々しさが残っている。
セノバイトの造形が持つ独特の美学
ピンヘッドの顔には、規則正しく針が刺さっている。
黒い衣装には、皮膚と金属を一体化させたような意匠が施されている。
従来の怪物映画にありがちな、牙や鋭い爪だけに頼った造形ではない。
その姿には、宗教的な儀式や身体改造を連想させる要素がある。
バーカーは、実際に目にした身体装飾やアンダーグラウンド文化から着想を得たと語っている。
このデザインで重要なのは、怪物たちが痛みに苦しんでいるだけの存在には見えないことだ。
彼らは傷ついた肉体を隠さない。
むしろ、それを誇示しているようにも見える。
普通なら避けたい痛みが、彼らにとっては別の意味を持っている。
その価値観の違いが、外見だけで説明されているのである。
音楽が作り出した荘厳な恐怖
クリストファー・ヤングの起用
本作の音楽はクリストファー・ヤングが担当した。
現在でも『ヘル・レイザー』の世界観と強く結びつけられている音楽だ。
重厚なオーケストラによる旋律は、通常のスプラッターホラーとは違う印象を与える。
恐怖を強調するだけでなく、悲劇的で壮大な雰囲気を生み出している。
そのため、残酷な場面でも奇妙な美しさを感じることがある。
当初は別の音楽が予定されていた
実は、最初からヤングが担当する予定だったわけではない。
当初は英国の実験音楽グループCoilが音楽制作に関わっていた。
しかし、その計画は実現せず、編集にも関わったトニー・ランデルの推薦でヤングが起用された。
Coilが制作した未使用音源も、その後知られることになった。
これは映画の方向性を考えるうえで興味深い制作秘話だ。
もし実験的な電子音楽が全面的に使われていたら、作品はもっと冷たく、異質な印象になっていたかもしれない。
一方、完成版の荘厳な音楽は、ジュリアとフランクの関係を異常な恋愛悲劇として見せる効果を持っている。
どちらが優れているという問題ではない。
音楽の選択によって、同じ映像がまったく異なる意味を持つ可能性を示している。
『ヘル・レイザー』の興行収入は成功だったのか
北米興行収入は約1,456万ドル
興行収入については、Box Office MojoとThe Numbersのデータを確認できる。
| 項目 | 金額・数値 |
|---|---|
| 北米公開日 | 1987年9月18日 |
| 北米公開初週末興収 | 4,453,232ドル |
| 北米最終興収 | 約14,564,000ドル |
| 公開初週末の上映館数 | 1,097館 |
| 最大上映館数 | 1,104館 |
| The Numbers掲載の世界累計興収 | 30,011,148ドル |
| The Numbers掲載の製作費 | 1,000,000ドル |
北米興行収入は約1,456万ドル。
製作費を100万ドルとして単純比較すると、北米興収は約14.56倍に相当する。
また、バーカーが語った90万ドルを基準にすると、約16.18倍となる。
少額の製作費に対して、大きな劇場収入を記録した作品だったことは間違いない。
ただし、ここで注意したいのは興行収入と利益の違いだ。
映画館の取り分、配給手数料、宣伝費などを差し引く必要があるため、興行収入が製作費の約16倍だからといって、純利益も16倍だったという意味にはならない。
世界興収についても、The Numbersでは約3,001万ドルと掲載されているが、各国の1987年当時の詳細な興行記録をすべて確認できたわけではない。
この数字はデータベースに掲載された累計値として扱うのが適切だ。
なぜ低予算ホラーとして成功したのか
考えられる理由の一つが、ピンヘッドの強烈な視覚的インパクトである。
頭に無数の針が刺さった姿は、映画の内容を知らない人にも強烈な印象を与える。
さらに、箱、鎖、異形の肉体という要素が、従来の殺人鬼映画とは違う作品であることを示していた。
ただし、これらが興行収入にどの程度貢献したのかを定量的に示す資料は確認できない。
それでも、少ない予算で独自の世界観を作り上げたことが、作品の商業的な魅力につながったという見方は十分に成り立つ。
海外での評価|絶賛と酷評が分かれた理由
現在の批評家評価
Rotten Tomatoesでは、確認時点で批評家支持率72%、57件の批評が集計されている。
一般観客の評価は73%で、5万件以上の評価が対象となっている。
一方、Metacriticの批評家スコアは100点満点中56点で、17件の批評に基づく。
現在ではホラー映画の代表作の一つとして扱われることも多いが、批評が全面的に一致しているわけではない。
高く評価された独創性
1987年9月18日付のロサンゼルス・タイムズでは、批評家マイケル・ウィルミントンが、本作をその年の独創的で印象深いホラー映画の一つとして評価した。
その一方で、過激で悪趣味とも受け取れる表現についても指摘している。
作品の独創性を認めながら、誰にでも受け入れられる映画ではないと判断していたことが分かる。
英国のキム・ニューマンも、バーカーが小説で築いた独特の作風を映画に持ち込んだ点を評価している。
つまり、公開当時から本作の特徴は、怪物そのものより作者の独創的な発想にあると理解されていたのである。
ロジャー・イーバートは厳しい評価を下した
一方、著名な映画評論家ロジャー・イーバートの評価は非常に厳しかった。
彼は本作に対し、物語や映像表現の魅力をほとんど認めず、強く批判した。
ここには興味深い問題がある。
独創性を評価する批評家にとって、過激な特殊効果は作品の思想を視覚化する手段だった。
しかし、否定的な批評家にとっては、それが物語の弱さを隠すための過剰な演出に見えた可能性がある。
同じ映像を見ても、評価の基準によって判断が分かれる。
『ヘル・レイザー』は、その違いが極端に表れた作品だった。
日本での評価と再公開
日本では1988年3月5日に初公開された。
その後、2023年12月8日には4Kデジタルリマスター版が劇場公開されている。
公開から35年以上が経過しても、劇場で再上映されるだけの認知度と作品価値があったことは確認できる。
ただし、日本公開当時の観客満足度や興行収入については、信頼できる詳細な数値を今回確認できなかった。
したがって、当時の日本でも大ヒットしたと断定することは避けたい。
【考察】フランクはなぜ地獄を求めたのか
快楽の追求は幸福を意味しない
フランクは作品の中でも特に理解しがたい人物だ。
彼は誰かを守るために危険を冒したわけではない。
失われた愛を取り戻そうとしたわけでもない。
ただ、これまで経験したことのない刺激を求めていた。
彼にとって普通の快楽は、すでに価値を失っていたのだろう。
これは現実の人間にも通じる問題である。
欲しかったものを手に入れても、満足感が長続きしないことがある。
もっと良いもの、もっと強烈な刺激を求めるようになる。
フランクは、その欲望が極端に肥大化した人物として読むことができる。
やがて彼は、快楽の先にあるはずの幸福ではなく、永遠の苦痛へたどり着いてしまう。
しかし、そこで本当に恐ろしいのは、彼が自分の過ちを十分に理解しているようには見えないことだ。
フランクは被害者なのか
確かにフランクは、セノバイトたちによって肉体を破壊された。
その場面だけを切り取れば被害者である。
しかし、復活後の彼は自分の肉体を取り戻すために他人の犠牲を要求する。
自分が苦しんだ経験を持ちながら、他人の痛みには関心を示さない。
彼が求めているのは自由ではなく、自分の欲望を満たす能力なのだ。
こう考えると、フランクの本当の地獄はセノバイトたちの世界だけではない。
どれだけ欲望を満たしても満足できない自分自身の内側に、すでに地獄が存在していたのではないか。
これがフランクという人物に対する、一つの解釈である。
【考察】ジュリアは愛に生きた女性なのか
本作で最も恐ろしいのはジュリアかもしれない
一般的なホラー映画なら、人間を襲う怪物が最大の脅威となる。
しかし『ヘル・レイザー』では、ジュリアの存在を無視できない。
彼女は最初から残忍な殺人鬼として登場するわけではない。
夫との生活に満たされないものを感じ、過去の情熱を忘れられずにいる女性として描かれる。
そしてフランクが復活すると、彼女の行動は大きく変わっていく。
ここで恐ろしいのは、ジュリアが超自然的な力を持っていないことだ。
彼女は普通の人間である。
それでも、自分の望みをかなえるために他人を犠牲にできる。
セノバイトよりも理解しやすい人間だからこそ、その行動が恐ろしく感じられる。
愛情が執着へ変わる瞬間
ジュリアはフランクを愛していたのだろうか。
それとも、フランクと過ごした過去の刺激的な時間を取り戻したかっただけなのだろうか。
この二つは似ているようで違う。
相手を愛することと、相手によって得られた感情に執着することは同じではない。
ジュリアが取り戻そうとしたのは、フランク本人というより、彼と関係を持っていた頃の自分だったとも考えられる。
平凡な結婚生活から逃れ、情熱に身を任せていた過去。
その記憶に取りつかれた結果、彼女は現在の生活と他人の命を犠牲にする。
もし本当に愛情が中心にあったなら、ここまで他人を傷つける必要があったのか。
そう考えると、ジュリアの行動は純愛よりも執着に近い。
ジュリアの悲劇は何だったのか
さらに残酷なのは、ジュリアがそこまでして尽くしたフランクが、彼女を大切にしているとは言いがたいことだ。
フランクにとって重要なのは自分自身であり、ジュリアは目的を達成するための手段になっている。
それでも彼女は、過去の関係を取り戻せると信じて行動する。
ここに本作の悲劇がある。
怪物に騙されたのではない。
自分が信じたい愛情のために、現実を見失ってしまったのである。
この解釈に立てば、ジュリアは悪役であると同時に、欲望によって破滅した人物でもある。
【考察】ピンヘッドは本当に悪なのか
ピンヘッドは人間を無差別に襲う怪物ではない
ピンヘッドはシリーズを象徴する存在だ。
しかし1987年版では、彼が常に物語の中心にいるわけではない。
実際に物語を動かしているのはフランクとジュリアであり、ピンヘッドたちは異世界の存在として登場する。
ここがジェイソンやフレディとは異なる。
ピンヘッドは無差別殺人鬼としてではなく、禁断の箱によって呼び出される存在として描かれる。
ただし、彼らが完全に公平な存在というわけでもない。
カースティとのやり取りからも分かるように、人間にとって安全な契約相手ではない。
彼らの価値観は、そもそも人間の倫理とは一致していないのである。
天使と悪魔の境界
ピンヘッドが独特なのは、残酷でありながら落ち着いた威厳を持っていることだ。
怒鳴り散らす必要も、必要以上に暴れ回る必要もない。
静かに語りかけるだけで、相手を恐怖に陥れる。
彼の姿は、単純な悪魔というより、異世界の儀式を執り行う司祭のようにも見える。
つまり、セノバイトたちは人間を誘惑する悪魔というより、人間が理解できない秩序に属する存在なのかもしれない。
欲望を突き詰めた人間に対して、その先にあるものを見せる。
それが彼らの役割だと考えることもできる。
もちろん、これは映画から読み取れる解釈であり、彼らが正義を執行しているという意味ではない。
【考察】パズルボックスは何を象徴しているのか
誰でも開けられる禁断の扉
映画に登場するパズルボックスは、外見だけなら美しい工芸品のように見える。
しかし、仕組みを理解して操作すると異世界への扉が開く。
私は、この箱を人間の好奇心と欲望の象徴として考えたい。
未知のものを知りたい。
他人が経験していないことを経験したい。
その欲求は必ずしも悪いものではない。
人間の文化や科学も、未知の世界へ踏み込む好奇心によって発展してきた。
ところが本作では、その好奇心が自己破壊へつながってしまう。
重要なのは、箱そのものに善悪があるわけではないという点だ。
問題は、それを求めた人物が何を望んでいたかである。
箱は欲望をかなえる道具なのか
フランクは箱によって究極の快楽を得られると考えていた。
しかし、実際に待っていたものは想像とは違っていた。
ここには、欲望を満たすことと幸福になることは別問題だという皮肉がある。
手に入れる前には魅力的だったものが、手に入れた瞬間に恐ろしいものへ変わる。
『ヘル・レイザー』のパズルボックスは、そんな人間の欲望の危うさを象徴しているように見える。
【考察】血と肉体が意味するもの
人間は肉体から逃れられない
『ヘル・レイザー』では、肉体が徹底して重要なものとして扱われる。
フランクは肉体を失い、それを取り戻そうとする。
セノバイトたちは肉体を傷つけながら、通常とは異なる感覚を追求している。
ジュリアは他人の肉体を犠牲にして、自分の望みをかなえようとする。
ここには共通する構造がある。
人間の欲望は精神的なものであっても、その実現には肉体が関わってくる。
そして肉体には限界がある。
その限界を超えようとしたとき、快楽は苦痛へ変化する。
バーカーは、それを説明台詞ではなく、傷ついた身体そのもので表現している。
ボディホラーとしての独自性
肉体の変形や損壊を恐怖として描くジャンルは、一般にボディホラーと呼ばれる。
本作も、その代表的作品として考えることができる。
しかし、単に肉体が変形するだけではない。
身体の変化が登場人物の心理や欲望と結びついていることが重要だ。
フランクの再生は、単なる特殊効果ではない。
失われた快楽を取り戻そうとする執念が、目に見える形になった場面なのである。
だからこそ、グロテスクな映像に物語上の意味が生まれている。
【考察】カースティだけが生き残れた理由
欲望ではなく、生存を求めた人物
カースティは、フランクやジュリアとは異なる立場にいる。
彼女は禁断の快楽を求めて箱を手に入れたわけではない。
事件に巻き込まれ、恐るべき真実を知ることになる。
そして、自分自身を守るために行動する。
彼女がほかの人物と違うのは、欲望を満たすことより、生き延びることを優先している点だ。
ただし、完全に受け身の犠牲者というわけでもない。
状況を理解し、相手と駆け引きしながら脱出を試みる。
従来のホラー映画に登場するヒロインの役割を、少し変化させた人物ともいえる。
カースティも完全な善人なのか
ここで考えたいのは、カースティだけが絶対的な善を代表しているのかという問題だ。
確かに、フランクやジュリアのような残酷な行動は取っていない。
しかし、彼女もまた、生き残るためにセノバイトたちと取引する。
人間が究極の恐怖に直面したとき、道徳だけで行動できるとは限らない。
カースティの行動には、生存本能による判断も含まれている。
だからこそ、単純な善人と悪人の対決では終わらない面白さがある。
『ヘル・レイザー』の弱点はどこにあるのか
物語の終盤には不満も残る
独創的な作品であっても、すべてが成功しているとは限らない。
特に終盤では、それまで積み重ねられてきた心理的な恐怖から、派手な特殊効果を中心とした展開へ移っていく。
この変化を楽しめる観客もいるだろう。
しかし、ジュリアとフランクの異常な関係に魅力を感じていた場合、終盤の展開は少し性急に感じられるかもしれない。
英国の批評家キム・ニューマンも、本作に多少の欠点があることを認めている。
例えば、英国を舞台としながら、公開市場を意識した設定上の変更が映画の雰囲気に影響しているという指摘だ。
映像の独創性と、物語全体の完成度は必ずしも一致しない。
そこは冷静に分けて評価する必要がある。
セノバイトの説明不足は欠点なのか
ピンヘッドをはじめとするセノバイトたちについて、本作は詳細な説明を与えていない。
彼らは何者なのか。
どのような世界に住んでいるのか。
なぜ快楽と苦痛を同じように扱うのか。
映画だけでは分からない部分が多い。
これを説明不足と考えることもできる。
ただし、すべてを説明しないことで、かえって異世界の恐ろしさが保たれているとも考えられる。
怪物の正体や能力が詳しく説明されるほど、恐怖は理解できる対象に変わっていく。
1987年版の魅力は、その境界を曖昧に保っている点にもある。
続編やリブート版との関係
『ヘル・レイザー』の成功後、1988年には続編『ヘルレイザー2』が製作された。
続編ではセノバイトたちの世界がさらに描かれ、シリーズの設定も拡張されていく。
その後もシリーズ作品が製作され、ピンヘッドはホラー映画を象徴するキャラクターの一人となった。
2022年にはデヴィッド・ブルックナー監督による新たな『ヘルレイザー』も製作されている。
ただし、1987年版と後年の作品では、物語の中心となる人物や怪物の扱い方が異なる。
後年のシリーズで明らかになった設定を、そのまま1987年版に当てはめることには注意が必要だ。
オリジナル作品を考察する場合は、まず1987年の映画で何が実際に描かれていたのかを重視したい。
『ヘル・レイザー』はなぜ忘れられない映画になったのか
本作の特徴は、残酷描写の過激さだけではない。
怪物の外見だけなら、後年の映画にも強烈なものは数多く登場している。
特殊効果についても、現在の技術で見れば古さを感じる場面はある。
それでも『ヘル・レイザー』には、ほかの作品では代替しにくい魅力が残っている。
それは、人間の欲望そのものを恐怖として描いた点だ。
フランクは満たされない快楽を追い続けた。
ジュリアは過去の情熱を取り戻そうとして破滅した。
カースティは、その二人の欲望によって生まれた惨劇から逃れようとした。
そしてピンヘッドたちは、人間の常識が通用しない世界の存在として立ちはだかった。
登場人物たちは、それぞれ異なる理由で恐怖に直面している。
この映画の地獄は、遠い異世界にだけ存在しているのではない。
普通の住宅の屋根裏にも、結婚生活の不満にも、忘れられない過去の恋愛にも潜んでいる。
そこに気づいたとき、本作の印象は変わってくる。
ピンヘッドの顔よりも、ジュリアの表情が恐ろしく見える瞬間がある。
血まみれの肉体よりも、フランクの満たされない欲望が不気味に感じられる瞬間がある。
『ヘル・レイザー』が描いたのは、地獄から怪物がやってくる恐怖だけではない。人間が自分の欲望によって、地獄への扉を開いてしまう恐怖だった。
そして、その扉を開いた者が、必ずしも自分の望んだものを手に入れられるとは限らない。
そこに、1987年のオリジナル版が持つ残酷な皮肉がある。
総評|1980年代ホラーの異端にして重要な作品
1987年版『ヘル・レイザー』は、万人向けのホラー映画ではない。
過激な残酷描写に加え、性的な欲望や身体の損壊が物語の中心に存在する。
物語の終盤には粗さもあり、登場人物の心理を十分に描き切れていないと感じる部分もある。
一方で、作者の独自性をここまで強烈に映像化した作品は珍しい。
低予算という制約のなかで、特殊メイク、美術、衣装、音楽、俳優の演技を組み合わせ、ほかの映画と簡単には比較できない世界を生み出した。
ピンヘッドという魅力的な怪物を誕生させたことも大きい。
しかし、私が本作で最も評価したいのは、人間の内面にある欲望と恐怖を、残酷な映像によって表現したことである。
怖い映画は数多くある。
だが、観終わった後に、人間そのものが恐ろしく感じられる映画はそれほど多くない。
『ヘル・レイザー』は、その数少ない作品の一つだと思う。
1980年代のホラー映画を語るとき、ジェイソンやフレディと並んでピンヘッドの名前が挙がるのは自然なことだ。
ただし、この映画を理解するなら、ピンヘッドだけを見ていては足りない。
本当に注目すべきなのは、彼を呼び出した人間たちの欲望なのである。
ちなみに、このシリーズは2022年にNetflixでリブートされています。原作ファンの間で評価が真っ二つに割れた作品なので、気になる方はNetflix『ヘル・レイザー』2022年版の評価は?賛否が割れる5つの理由もあわせて読んでみてください。
