死霊のはらわた ライジングはなぜ山小屋を捨てても成立したのか?制作秘話と考察

「『死霊のはらわた ライジングはなぜ山小屋を捨てても成立したのか 制作秘話と考察』。映画のキービジュアルと、山小屋からアパートへの舞台変更を示す設計図を組み合わせたアイキャッチ画像。」

山小屋、アッシュ、チェーンソー『死霊のはらわた』を『死霊のはらわた』たらしめてきた記号を、2023年公開の『死霊のはらわた ライジング』はほとんど捨てている。舞台はロサンゼルスの集合住宅、主人公は疎遠だった姉妹とその家族。それでも本作は紛れもなくシリーズの正統な続編として観客と批評家の双方に受け入れられ、当初は配信限定作品だったにもかかわらず世界興収約1億4,700万ドルを記録した。この記事では、6,500リットルの血糊やチーズおろし器の凶器化といった制作秘話にとどまらず、「なぜ山小屋を離れても恐怖が成立したのか」という構造そのものを掘り下げていく。

目次

山小屋を出た死霊が、なぜ「家」に棲みついたのか

『死霊のはらわた』というシリーズを一言で説明するなら、「日常から切り離された場所で、人間が化け物に変わっていく話」だった。舞台は森の奥の山小屋。電気も電波も通じない、助けを呼べない場所。恐怖の前提条件は常に「孤立」だった。1981年にサム・ライミが世に送り出した第1作から、その構図は40年以上にわたってシリーズの背骨であり続けてきた。

ところが2023年の『死霊のはらわた ライジング』は、その前提そのものをひっくり返している。舞台はロサンゼルスの老朽化した集合住宅。助けを呼ぼうと思えば呼べるし、隣人もいる、エレベーターもある「普通の生活空間」だ。中心人物もキャンプに来た若者たちではなく、疎遠になっていた姉妹ベスとエリー、そしてエリーの3人の子どもたちという、ごく普通の家族である。それでも本作は紛れもなく『死霊のはらわた』として成立する。

この記事では制作秘話の紹介にとどまらず、「なぜ山小屋を捨てても成立したのか」「なぜチーズおろし器や母親の顔が、山小屋以上に怖く感じるのか」というところまで踏み込んでみたい。あわせて、なぜ配信限定の予定だった映画がシリーズ最大のヒット作になり得たのか、そのビジネス的な経緯も含めて追っていく。

サム・ライミがリー・クローニンを選んだ理由

本作最大の転換点は、監督にリー・クローニンが起用されたことだろう。クローニンは2019年に長編監督デビュー作『The Hole in the Ground』を発表しており、この作品をきっかけにサム・ライミが彼に関心を持ち、シリーズの新作について話をするようになったという。製作はシリーズ開始当初から関わるロブ・タパートが担当し、製作総指揮にはライミ本人と、アッシュ役で知られるブルース・キャンベルが名を連ねている。1981年の第1作を作った中心メンバーが40年以上後の本作にも関与しているという継続性は、新しい監督への信頼と、シリーズ創始者による監修のバランスとしてよく機能している。

クローニン自身によれば、ライミやタパートとの初期の打ち合わせでは、「どこで誰を殺すか」という残酷描写よりも先に、キャラクターや物語の世界観についてじっくり話し合ったという。恐ろしい場面から逆算するのではなく、「誰が襲われるのか」「その人物同士にどんな関係があるのか」「なぜ観客が彼らの運命を気にするのか」という土台から積み上げていったからこそ、後述する舞台転換が単なる目新しさで終わらずに機能している。ホラー映画の続編は往々にして「前作より過激な殺し方」を目指しがちだが、本作の出発点がそこになかったことは、シリーズを延命させる上で重要な判断だったと思う。

恐怖の構造転換:山小屋から集合住宅へ

「知らない場所」から「知りすぎた場所」へ

従来のシリーズでは、恐怖は「見知らぬ場所に迷い込む」ことから生まれていた。山小屋、地下室、廃屋。観客は登場人物と一緒に「ここがどんな場所か分からない」という不安を共有する構造だ。この不安は基本的に、扉を開けて外に出れば解消される類のものでもある。

だが『ライジング』が選んだのは真逆の設計である。クローニンは、キッチンや廊下、浴室、エレベーターといった「毎日使う場所」を恐怖の舞台にした。興味深いのは、クローニン自身が山小屋という舞台そのものを嫌っていたわけではないという点だ。むしろ愛着があるからこそ、新作では思い切ってそこから離れる必要があったとインタビューで語っている。この「愛着があるからこそ壊す」という姿勢が、単なる差別化のための舞台変更ではなく、シリーズへの敬意を保ちながらの再構築だったことを裏づけている。

この転換が効くのは、恐怖の正体が「未知」から「日常の裏切り」へと移動しているからだろう。見知らぬ森であれば「近づかなければいい」で済むが、自分の家のキッチンが凶器を隠し持っているとなれば、そもそも逃げ場という概念自体が崩れ落ちる。山小屋映画が「外に出るな」の恐怖なら、本作は「家の中にいても意味がない」の恐怖であり、しかも本作の脚本執筆時期は新型コロナウイルスによるロックダウン期と重なっている。外へ簡単に出られない感覚、家族と長時間同じ場所にとどまる生活。そうした2020年前後の実体験を経た観客にとって、この設計は体感として刺さりやすいものになっていたはずだ。

ニュージーランドで作られた「ロサンゼルスの現実感」

物語の舞台はロサンゼルスだが、実際の撮影は主にニュージーランドで行われている。撮影時期はまだ新型コロナの影響が色濃く残っており、出演者たちもインタビューでその制約について振り返っているほどだ。映画に登場するアパートの内部は、その多くが綿密に作り込まれたセットである。

これは演出上、大きな利点をもたらした。壁や床を思い通りに破壊できる、エレベーターを自在に動かせる、大量の血液を安全に流せる、特殊効果の装置を仕込める。通常の実在ロケーションでは到底不可能な撮影が、セットだからこそ実現できたわけだ。一見すると単なる制作上の都合に見えるかもしれないが、これは「日常空間を作り替えて凶器にする」という本作のテーマそのものと相性が良い制作手法でもある。実際の建物ではなく、意図的に設計されたセットだからこそ、崩壊していく過程を隅々までコントロールできたのだろう。

日常品が凶器に変わる瞬間

チーズおろし器がホラーアイコンになった理由

公開前の予告編で話題をさらったのが、チーズおろし器を脚に押し付けるシーンだ。狭いキッチンで約3日をかけて撮影が行われ、特殊メイクと物理効果を核にしつつ、境界部分だけVFXで補強するという手法が取られている。特殊効果担当者によれば、脚の傷には特殊メイクを、おろし器側にも撮影用の加工を施し、その後デジタル処理で境界を馴染ませたという。

ここで注目したいのは、なぜ「チェーンソー」ではなく「チーズおろし器」がこの映画の顔になり得たのかという点だ。チェーンソーは非日常の凶器だが、チーズおろし器はどの家庭のキッチンにもある。観客は自分の台所にある道具が凶器に変わる可能性を、無意識のうちに想像してしまう。つまりこの場面は単なるゴア表現のインパクト狙いではなく、「日常品を凶器に変える」という本作全体のコンセプトを、開始早々に観客へ刷り込むための象徴的な選択だったと考えるのが自然だろう。

実際、このアイデア自体がクローニンのロックダウン中の脚本執筆から生まれたと報じられている点も、家庭という空間そのものへの意識の変化を裏づけている。外に出られず、家の中にある物ばかりを目にする生活の中で、身近な道具を恐怖の道具として捉え直す発想が生まれたのだとすれば、このシーンはコロナ禍という時代背景がそのまま脚本に反映された一例だと言える。

デジタルと物理効果の使い分け

悪霊に憑依された人物の目の表現については、従来なら特殊コンタクトレンズを使う方法もあったところを、俳優の負担を減らすため主にVFXが採用されている。「CGを使わない」ことが目的なのではなく、物理効果で成立する部分は物理効果で作り込み、安全性や画面効果のために必要な部分だけデジタルを使う。この使い分けの姿勢そのものが、本作の特殊効果哲学をよく表している。

6,500リットルの血が塗りつぶしていくもの

本作では映画全体でおよそ6,500リットル、ガロン換算で約1,700ガロンの血糊が使用され、量があまりに多かったため製造には工業用のキッチン設備まで動員されたと報じられている。単なる着色水ではなく粘度のある本格的な映画用血液で、クローニンは「血を映画のキャラクターの一人にしたかった」と語っている。後半にはエレベーターセットを丸ごと血糊のタンクに沈めるという大掛かりな方法まで用いられ、スタンリー・キューブリック監督『シャイニング』のエレベーターを明らかに意識した演出になっている。

この物量へのこだわりは、単にインパクト狙いのゴア表現というだけでは説明がつかない。血が床、壁、エレベーターを覆い尽くしていく様子は、「家という安全なはずの空間が、内側から浸食され、原形を失っていく」プロセスをそのまま視覚化する装置になっている。血液の量が増えれば増えるほど、家庭という空間の「元の姿」がどんどん見えなくなっていく。恐怖の主役が「怪物」ではなく「空間そのものの変質」だと考えると、この血の演出は理にかなった選択に見えてくる。

俳優が背負った肉体的負担

この選択には俳優側の相当な負担も伴った。使用された血液は非常に粘り気があり、皮膚に付着すると身体がくっついてしまうほどだったとクローニンは振り返っている。リリー・サリヴァンは血に覆われた状態で、腕や脚が身体に触れないよう広げたまま長時間待たされることもあり、撮影が遅れればその姿勢のまま待機を強いられた。スタッフは血が固まらないよう水を吹きかけながら撮影を続けたという。俳優が実際に感じた粘着感や不快感が、そのまま疲労や緊張感として画面に滲み出ているのも、CGでは再現しづらい生理的な説得力を生んでいる要因の一つだろう。デジタル技術がこれだけ発達した時代に、あえて物理的な不快感を俳優に強いてまで実現しようとした部分にこそ、この映画が観客に伝えたかった「身体的なリアリティ」の重心があるように思える。

家族という恐怖の震源地

母親の顔をした悪魔

本作の恐怖を語る上で欠かせないのが、エリーを演じたアリッサ・サザーランドだ。オーストラリア出身で、テレビドラマ『Vikings』への出演で知られる彼女は、序盤の疲れた母親から、悪霊に憑依されたデッダイトへと大きく変貌していく。恐ろしいのは、単純に叫んだり暴れたりするからではない。笑う。子どもを優しく呼ぶ。家族しか知らない言葉を利用する。つまり「母親の人格」を悪霊が武器として使うのだ。

クローニンは、憑依されたエリーの台詞について、母親が心のどこかで感じることはあっても愛情ゆえに決して口にしないような感情を、悪霊が代わりに言葉にしていると説明している。この設計の恐ろしさは、悪魔が「母親らしくない言葉」を吐くからではなく、「母親が本当は言いたくても言えない言葉」を代弁してしまう点にある。この映画のデッダイトは外部から侵入した異物であると同時に、子育てや家族関係の中に元からあった不安や疲労を映し出す鏡としても機能しているわけだ。

新しいサバイバーたち

ベスを演じたリリー・サリヴァンの存在も見逃せない。ベスは姉のもとを訪ねた時点ですでに自分自身の人生に重大な不安を抱えており、その後、姉の子どもたちを守る役割を一身に背負っていく。ブルース・キャンベル演じるアッシュ・ウィリアムズという圧倒的な存在に頼らず、新しい人物だけでドラマを成立させたことで、「アッシュの物語」ではなく「死者の書とデッダイトが存在する世界」としてシリーズのブランドが拡張された意味は大きい。シリーズ従来作にはなかった、明確な「家族ホラー」への進化がここに集約されている。

過去のホラー映画への目配せが果たす役割

海外の批評では、本作が高層住宅を舞台にした『デモンズ2』や、密室感染型ホラーの『REC/レック』との共通点、そして先述の『シャイニング』のエレベーションを想起させる演出を持つと指摘されている。この引用のやり方が巧みなのは、単なる小ネタとしての引用に留まらず、それぞれが「閉ざされた集合住宅」「感染が広がる密室」「血に沈む象徴的な空間」という、いずれも本作のテーマと重なる作品ばかりが選ばれている点だ。

つまりクローニンは、シリーズ自体の記号(山小屋、アッシュ、チェーンソー)を引用する代わりに、ホラー映画史の中で「閉鎖空間の恐怖」を担ってきた別の名作群を引用することで、観客の記憶の中にある恐怖の型を借りて『死霊のはらわた』らしさを再構築している。これは懐古的なファンサービスではなく、ジャンルの文法そのものへの目配せであり、表面だけをコピーせずにシリーズを継承する、かなり計算された手法だと見ていい。

配信限定になるはずだった映画が、劇場ヒットに化けた理由

ビジネス面での経緯も、この映画の恐怖表現と無関係ではない。本作は当初、HBO Max向けのストリーミング作品として企画されていた。つまり映画館での大規模上映は想定されていなかったのだ。ところが完成後のテスト上映の評判が良かったことに加え、ワーナー・ブラザースが配信専用映画を減らし劇場公開を重視する方向へ戦略転換したことで、本作は劇場公開作品へと格上げされている。

結果は2023年3月にSXSWでワールドプレミアを迎えた後、北米では同年4月21日に3,402館で公開。オープニング週末の興収は2,450万4,315ドルで、当初予測されていた1,500万〜2,000万ドルを上回るスタートを切った。公開初週末ランキングは2位で、1位は当時大ヒット中だった『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』だった。最終的な世界興収は集計元によって差はあるものの約1億4,700万ドル規模、製作費1,500万〜1,900万ドル程度に対して7倍以上という極めて高い収益性を記録し、当時シリーズの劇場作品として最大の世界興収となった。2013年版『死霊のはらわた』の世界興収が約9,900万ドルだったことを踏まえると、それを約4,800万ドル以上上回った計算になる。

2023年のホラー映画市場という追い風

この成功の背景には、公開当時のホラー映画市場全体の追い風もあった。2023年前後は『スクリーム6』『M3GAN/ミーガン』『Smile』『The Black Phone』『バーバリアン』など、比較的低予算のホラー映画が劇場で高い収益性を示す流れが続いており、同時に『ハロウィン』『スクリーム』『ヘルレイザー』『エクソシスト』といった過去のホラーIPを復活させる動きも強かった。配信全盛期でありながら、悲鳴や笑いを観客同士で共有できる劇場体験は、ホラーというジャンルとの相性が良かったのだ。

妥協しなかった映像規模

この判断が正しかった背景には、クローニンが配信作品として制作していた段階から「画面を小さく考えるつもりはなかった」と語っている通り、映像規模や物理効果へのこだわりを最初から落としていなかった事情もある。血の物量やセットの作り込みは、本来スマートフォンの小さな画面でも成立させるつもりだった設計ではなく、劇場のスクリーンで観客と一緒に悲鳴を上げることを前提にした設計だったからこそ、急な方向転換にも耐えられたのだろう。恐怖の演出クオリティを妥協しなかったことが、結果的にビジネス判断の追い風にもなったという構図が見えてくる。なお日本では北米のような一般劇場公開は行われず、2023年8月2日からBlu-ray・DVD・デジタル販売でのR18+指定展開となっており、世界的なヒット規模の割に日本国内での認知度は限定的だったと言えるだろう。

賛否が分かれた理由をどう見るか

批評面では、批評家評価85%、認証済み観客評価76%、Metacriticでも「概ね好評」の評価区分と、ホラーシリーズ作品としてはかなり高い数字を記録している。肯定的な評価で多かったのは「新しいことをしているのにEvil Deadらしい」という点で、舞台や主人公が変わってもデッダイトや死者の書といったシリーズのDNAが残っている点が評価された。血液表現、ゴア、視覚演出、そしてサザーランドとサリヴァンの演技を評価する声も目立つ。

一方で、「オリジナル三部作ほどユーモアがない」「2013年版ほど恐怖が強くない」「アパートという設定がシリーズらしさから離れすぎている」といった否定的な声も一定数あった。技術的にはよく作られたゴア映画だが長く記憶に残るほどの強烈な印象には欠けるという評や、シリーズ特有の狂った楽しさが薄いという指摘もある。

個人的には、この賛否は「クローニンが意図的にユーモアを削った結果」として捉えるべきだと考えている。サム・ライミ版の魅力はスラップスティックに近い狂気にあり、2013年版の魅力は救いのない絶望感にあった。本作はそのどちらでもなく、「家族関係の中にある言えない感情」をホラーに転化するという、より地に足のついたアプローチを選んでいる。シリーズのカルト的な狂騒感を求めるファンには物足りなく映るのも無理はなく、その批判自体は的外れではない。ただし「山小屋とアッシュがなくてもEvil Deadは成立する」ことを証明したという一点だけでも、本作はシリーズを延命させるための正しい賭けに出た作品だと評価したい。

山小屋には、結局戻ってくる

興味深いのは、本作の物語構造そのものが最終的に「森」というイメージへと回帰していく点だ。舞台をどれだけ都市化しても、『死霊のはらわた』というシリーズは最後にあの森の記憶へと引き戻される。単なる後付けのファンサービスというより、「死者の書を開いてはいけない」という教訓が場所を選ばず繰り返されることを示す仕掛けに近い。

山小屋を出た死霊は、結局のところ、家庭という新しい山小屋を見つけただけなのかもしれない。閉ざされた空間、逃げ場のなさ、そして家族という最も安全なはずの関係性そのものが恐怖の発生源になる構造。『死霊のはらわた ライジング』が本当に更新したのは舞台設定ではなく、「何が人間を孤立させ、追い詰めるのか」という恐怖の定義そのものだったのではないか。2023年、観客はチーズおろし器を通じて、そのことを改めて思い知らされることになった。

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