山小屋の一夜を、なぜ今も語ってしまうのか。『死霊のはらわたII』(1987)は、当時の興行成績だけを見れば中規模以下のヒットに過ぎなかった一本だ。しかし中世編を撮る予算がない、前作の映像も使えない、MPAAの審査すら通せない——そんな制約の連続が、結果的に「怖いのに笑える」という独自のスタイルを生み出した。制作の裏側を掘り下げながら、この映画がなぜ40年近く経った今も参照され続けているのかを見ていく。
あらすじ
恋人リンダとドライブ中に古い山小屋へ迷い込んだアッシュは、そこで見つけた「死者の書」と録音テープを何気なく再生してしまう。テープに刻まれていたのは森に眠る悪霊を呼び覚ます呪文だった。取り憑かれたリンダを退けたのも束の間、今度はアッシュ自身の右手が悪霊に侵され、チェーンソーで自らそれを切り落とす羽目になる。そこへ山小屋の持ち主の娘アニーとその仲間たちが訪れるが、一人また一人と悪霊に襲われていく。生き残りを賭けた一夜の攻防の果て、アッシュは思いもよらない場所へと飛ばされてしまう——というのが大筋だ。ここから先は、この一夜がどんな制作事情の中で生まれたのかを掘り下げていく。
予算がなかったから、あの形になった
『死霊のはらわたII』(1987年)と聞くと、多くの人は「血まみれのカルト傑作」というイメージを思い浮かべる。だがこの映画、公開当時のサム・ライミが本当に撮りたかった続編ではなかったことは、意外と知られていない。
もともとライミが構想していたのは、主人公アッシュが中世へ飛ばされる大規模な物語だった。これは後に『Army of Darkness(キャプテン・スーパーマーケット)』として結実する企画だ。しかし予算が足りず、まず山小屋を舞台にした「中間章」を作らざるを得なかった。
「山小屋から出したかった」——共同脚本家の告白
共同脚本のスコット・スピーゲルは後年のインタビューで、山小屋の外に物語を広げる案をいくつも出したが「どれも自分たちの予算には高すぎた」と振り返っている。特に印象的なのは、まだ橋が残っている状態で、悪しき力が森の木々をなぎ倒しながらアッシュの車を追い、最終的に橋そのものを崩落させるという大規模なアクション場面だ。ライミ自身もこのアイデアを気に入っていたというが、「馬鹿げているほど金がかかる」という理由で断念されている。
こうした未撮影のアイデアを知ると、完成作の印象がまた変わってくる。広い世界を描けないなら、狭い山小屋の中で最大限の狂気を詰め込む——この発想の転換こそが、超高速の移動撮影、部屋中の家具が笑い出す演出、アッシュが自分の右手と格闘するスラップスティックといった、本作を特徴づける演出言語の出発点になっている。
35mmへの移行と特殊効果チーム
制作規模自体は第1作からかなり拡大している。16mmで撮影された第1作に対し、『II』は35mmで撮影された。撮影監督はピーター・デミング(後に『マルホランド・ドライブ』や『オースティン・パワーズ』を手がける)、特殊メイクの中心はマーク・ショストロムが務めた。その下にはロバート・カーツマン、グレッグ・ニコテロ、ハワード・バーガーといった、後年のハリウッド特殊メイクを支えることになる面々が名を連ねている。
さらにリンダの不気味な“踊り”のようなストップモーションはダグ・ベズウィックが担当し、ヘンリエッタの変身シーンや不気味な手のアニメーションはリック・カティゾーンが手がけた。音楽はジョセフ・ロデュカ、編集はケイ・デイヴィス、美術はフィリップ・ダフィンとランディ・ベネットが担当している。CG以前の時代、メイク・機械仕掛け・ミニチュア・マット画・ストップモーションを分業で積み上げたこの体制は、単なる低予算ホラーの寄せ集めではなく、後のジャンル映画を支える人材が交差する現場だったと言える。実際、ここに名を連ねたスタッフの多くは、90年代以降のハリウッド製ホラー・SFX業界で中心的な役割を担っていくことになる。
ミシガン時代からの仲間たちが作った映画
意外と語られないが、この映画の狂騒的なノリは突然ハリウッドで生まれたものではない。ライミ、プロデューサーのロバート・タパート、主演のブルース・キャンベルは、ミシガン時代からSuper 8の自主映画を一緒に作ってきた仲間だ。共同脚本のスコット・スピーゲルも中学時代からキャンベルを知る間柄で、彼らは若い頃から『三ばか大将』的なスラップスティックを繰り返し実験していたという。つまり『II』で炸裂する身体ギャグは、十代の頃からの遊びを大予算で再現したようなものであり、突飛な思いつきではなく蓄積の結果だったと見るほうが正確だ。
資金繰りも一筋縄ではいかなかった
企画そのものの成立過程も平坦ではなかった。第1作が国外を含むカルト的成功を収めたことを受け、ライミとタパートは1985年から続編の資金調達に動き出す。当初はエンバシー・ホーム・エンターテインメントが全額出資・配給する形でまとまりかけたが、同社が劇場配給部門を売却したことで計画は宙に浮き、最終的にディノ・デ・ラウレンティス系列のDEG(De Laurentiis Entertainment Group)が引き継ぐことになった。実際の主要撮影が始まったのは1986年5月19日、ノースカロライナ州ウェイズボロでのことだ。撮影は同年8月まで続き、ストップモーションや第二班撮影、ポストプロダクションの一部はデトロイトへ持ち帰られている。
出資元が一度宙に浮いたという経緯を踏まえると、前述した「製作費が資料によって350万〜500万ドルとばらつく」問題にも納得がいく部分がある。出資元の交代や契約の組み替えが会計上の数字のブレに影響した可能性は十分考えられるが、これもあくまで推測の域を出ない。
冒頭は「リメイク」ではなく「権利問題の産物」
本作を観たことがある人なら、冒頭で第1作『死霊のはらわた(1981)制作秘話|予算35万ドルの自主映画が伝説になるまで』とほぼ同じ展開が繰り返されることに違和感を覚えたかもしれない。実際、長年「これはリメイクなのか続編なのか」という議論がファンの間で続いてきた。
答えは制作側の証言で明確になっている。主演のブルース・キャンベルいわく「自分たちは自分たちの映画の権利を持っていなかった」。つまり第1作の映像素材をそのまま使う権利がなく、やむを得ずアッシュとリンダの物語だけを再構成して撮り直したのだ。だからこれは「リメイク」ではなく、権利上の制約から生まれた「前作の要約パート」であり、本編は紛れもなく続編として設計されている。
ただし、前作に相当する部分の設定そのものが変更されている(たとえば同行する仲間の顔ぶれや細部の展開が異なる)ことから、日本語圏では「実質的にはリメイクに近い」と評されることも少なくない。制作側の意図(権利問題によるやむを得ない再構成)と、観客側の受け止め方(設定が変わっているので実質リメイクに見える)は、必ずしも一致しているわけではない。どちらが正しいというより、「なぜそうなったか」と「どう見えるか」という別々の問いに対する、それぞれ妥当な答えだと捉えるのがフェアだろう。
ちなみに現存する1986年5月付の脚本第7稿を見ると、ネクロノミコン(死者の書)の由来をストップモーションや絵画、模型などで見せる非常に細かいプロローグ指定が残されている。完成版よりもさらにアニメーション・ミニチュア依存度の高い導入が、企画段階では検討されていたことがうかがえる。
興行成績は「大ヒット」ではなかった
ここが今日のイメージとのギャップが最も大きい部分だ。1987年3月13日、本作は310館という控えめな規模で公開された。初週末の興行収入は約80万7000ドル、1館平均は約2600ドルほど。業界誌はこのスタートを「slow」と評している。最終的な北米累計興収は約592万ドルにとどまった。
同年のホラー映画と比べてみる
同じ年に公開されたホラー映画と比べると差は歴然としている。『エルム街の悪夢3』は4479万ドル、『ロストボーイ』は3285万ドル、『ヘル・レイザー』でさえ1456万ドルを稼いでいる。『死霊のはらわたII』はその中で明らかに小粒な存在であり、年間ランキングでも100位台の後半に沈んでいる。
1987年という年自体は、Varietyの集計を基にすると興行収入で当時最高クラスの活況を呈した年だった。『ビバリーヒルズ・コップ2』が1億5000万ドル超、『危険な情事』が1億3700万ドル超を稼ぐ一方で、ホラーというジャンルの中だけを見ても、大型フランチャイズ(『エルム街の悪夢』シリーズ)、スタジオ製のティーン向けホラー(『ロストボーイ』)、特殊メイク主体のインディペンデント作品(『ヘル・レイザー』)、そしてカルト志向の作品(『死霊のはらわたII』)が同じ市場でしのぎを削っていた。つまりこの映画は、劇場公開時点では中規模以下のヒットに過ぎなかった。今日「ホラー史の傑作」として語られる評価は、興行収入からではなく、その後数十年をかけてじわじわと積み上がったものだ。
製作費はいくらだったのか——資料が一致しない理由
もうひとつ興味深いのが製作費だ。資料によって数字が一致していない。ある興行データベースは350万ドルとし、2013年のハリウッド・レポーター誌の関係者による回顧記事は約400万ドルとし、AFI(アメリカ映画協会)が引用する1986年当時の業界報道は約500万ドルとしている。製作予算、実際にかかった最終コスト、会計上の「negative cost」といった異なる概念が資料ごとに混同されている可能性はあるが、公開資料だけでは差額の理由を特定できない。したがってこの記事でも「約350万〜500万ドル」という幅でしか書けない。
MPAAを迂回した「無指定」公開という賭け
もうひとつ、当時の配給を語るうえで欠かせないのがレーティング問題だ。製作側と配給元のDe Laurentiis Entertainment Groupは、完成した84分版をそのままMPAAに提出すればX指定(現在のNC-17相当)になると予測していた。しかしR指定を得るためにどこをカットするかで折り合いがつかず、最終的にMPAAの審査自体を回避するという選択をとる。
作品はRosebud Releasing Corporationという配給会社を通じ、アメリカでは「無指定(unrated)」として公開された。館数を犠牲にしてでも作品を削らずに保つという判断だ。上映の際には「17歳未満には刺激が強すぎる場面を含む」という独自の警告表示が付けられている。
イギリスでは事情が異なり、BBFC(英国の映倫にあたる組織)が1987年5月に18指定を与えると同時に、一部シーンのカットを条件としている。同じ作品でも国によって審査の通し方がまったく違ったわけだ。
日本公開をめぐる「わからないこと」
ここは正直に書いておきたい。日本での興行収入や配給収入、公開時の順位について、信頼できる一次資料から正確な数字を確認することができなかった。映画製作者連盟がまとめた1987年の外国映画配給収入ランキングには『トップガン』(39億円)や『プラトーン』(18億円)、『アンタッチャブル』(17億5000万円)などは載っているが、本作の名前は出てこない。掲載の閾値が明示されているわけではないため、「本作はいくら未満だった」と逆算することもできない。
さらに公開日についても資料によって食い違いがあり、10月3日とする情報源と、11月21日とする情報源の両方が存在する。どちらが正しいかを断定できる材料は今回見つからなかった。数字がないところに無理に数字を当てはめるより、「わからない」と書くほうが誠実だと考え、あえてそのままにしている。
ちなみに1987年の日本の映画市場自体は、スクリーン数2053、公開本数637本(邦画286・洋画351)、年間入場者数は約1億4394万人で前年比約10.5%減という、観客動員が縮小しつつも輸入映画の存在感は強い、過渡期の年だった。配給収入全体に占める洋画のシェアは51.9%に達しており、邦画より洋画のほうが稼いでいた年でもある。そうした市場環境の中で本作がどう扱われたのか、正確な数字が今も追えないのは、日本のホラー・カルト映画受容史を語るうえで一つの空白として残り続けている。
「世界興収」という表記のトリックにも注意したい
余談だが、現在のオンライン興行データベースを見ると、本作の「世界興収」として北米興収とほぼ同額の数字が表示されていることがある。これは1987年当時の日本・イギリス・欧州各国での興行を合算したものではなく、後年の再上映分などが部分的に反映されているだけの、実態としては不完全な数字だ。「世界で592万ドル稼いだ」と紹介している記事を見かけたら、その数字は額面通りに受け取らないほうがいい。
公開当時から評価されていた、という誤解されがちな事実
「カルト映画は公開当時に酷評され、後から再評価される」というのはよくある物語だが、この映画に関しては必ずしも正確ではない。
イーバートは公開直後から高評価だった
ロジャー・イーバートは公開直後、本作に4点満点中3点をつけ、「血まみれのショック映画に扮したコメディ」と評している。ニューヨーク・タイムズも当時からライミの技巧と成長を評価する記事を出しており、Variety誌のレビューも本作を単なる恐怖映画ではなく、極端な特殊効果とショックを笑いへ変換する「不条理コメディ」として捉えていた。
つまり公開当初から、この映画が単なる残酷描写ではなく高度に計算されたコメディであることを見抜いていた批評家は存在した。後年になって変わったのは「評価されたかどうか」ではなく、その評価がホラー映画史全体における位置づけへと広がっていったことだ。
賞レースでも一目置かれていた
大きな主要映画賞との縁は薄かったものの、ジャンル映画に特化した賞レースでは公開当初から一定の存在感を示している。サターン賞では作品賞(ホラー部門)、特殊効果部門、メイク部門でノミネートの記録が複数のデータベースに残っており、ポルトガルのファンタスポルトでもライミ自身が監督賞候補に挙がった記録がある。大きなトロフィーを獲得したというより、ジャンル映画コミュニティの中では公開当初から一目置かれる存在だった、という理解が実態に近い。
学術研究の対象としての『II』
現在のRotten Tomatoesでは批評家スコア88%(86件のレビュー)、観客スコア89%(10万件以上の評価)と、今も高い支持を集め続けている。近年では大学の学術誌でも取り上げられ、2023年にはパデュー大学の研究誌で「笑いと狂気」という切り口から、コメディとホラーがどう結びついているかが論じられている。2024年にはネブラスカ大学オマハ校の宗教映画研究誌が「身体性ホラー」という角度から本作を取り上げ、旧約聖書の一節と本作の身体破壊表現を比較する試みまで行われている。B級映画の枠を超えて、コメディ論や身体表象の研究対象になっているということだ。
40年近く経っても「参照される映画」であり続けている
古典として消費されるだけでなく、今も現役の創作者に影響を与え続けている点も見逃せない。2026年には映画監督ジェーン・シェーンブランが、自身の新作に影響を与えたスラッシャー・ホラーの1本として本作を挙げ、その「過剰なゴアを楽しむ姿勢」を参照点として語っている。約40年前の低予算映画が、今もなお現役監督の創作の引き出しであり続けているのは、単純に驚くべきことだ。
シリーズとしての拡張
シリーズ自体もこの路線を引き継ぎ、『Army of Darkness』、2013年版リブート、STARZの連続ドラマ『Ash vs Evil Dead』(全3シーズン)、2023年の『Evil Dead Rise』へと拡張されている。「呪われた書」「デッドアイト」「過剰な身体破壊」という『II』が確立した語彙は、アッシュという主人公を離れてもフランチャイズの核として機能し続けている。主演のブルース・キャンベル自身、公開当時は今日のようなスターではなく、本人の回想によれば『II』出演後にも夜間警備の仕事をしていた時期があったという。そこから約30年後に自ら再びアッシュを演じる連続ドラマの主演を務めることになるのだから、映画のキャリアとは分からないものだ。
アッシュはいつスターになったのか
キャンベル演じるアッシュは、シリーズを重ねるごとにキャラクター像が変化していく。第1作では悪霊に追われるだけの被害者的な青年だったが、『II』の終盤でチェーンソーを自らの右手に装着し、猟銃を構えるショットに至って、初めて「戦う主人公」としてのアイコンが完成する。この造形がそのまま『Army of Darkness』へ、さらに約30年後の連続ドラマ『Ash vs Evil Dead』へと引き継がれていくわけだが、その原点となるイメージが生まれたのが、まさにこの低予算な山小屋の一夜だったという点は、あらためて振り返る価値がある。
ホラーコメディというジャンルの中での立ち位置
「恐怖と笑いを同居させたホラー映画」を『II』が発明したと言われることがあるが、これは少し言い過ぎだ。実際には『II』の前年にあたる1985年、スチュアート・ゴードン監督の『Re-Animator』がすでにゴア表現とブラックユーモアを融合させた作品として評価を得ていた。つまりゴアとコメディを組み合わせるという発想自体は、当時のインディペンデント・ホラー・シーンの中で同時多発的に生まれていたと見るべきだろう。
では『II』の独自性はどこにあるのか
それでも『死霊のはらわたII』が特別視される理由は、恐怖とコメディを「交互に」描くのではなく、「同じ一撃」の中に両方を同居させた点にある。アッシュが自分の手を切り落とす場面は、恐怖描写であると同時にスラップスティックでもある。カメラそのものが悪霊のように高速で襲いかかってくる主観ショットは、観客を怖がらせる技法でありながら、あまりの過剰さゆえに笑いを誘う。恐怖が先に来て、その後で笑いが来るのではなく、恐怖そのものの中に可笑しさが埋め込まれている。この一体化した構造こそが、『II』を単なる「ホラーとコメディの合体」以上の存在にしている。
スピーゲル自身も後年、この作品を振り返って「crazy, horrific, off-kilter(狂っていて、恐ろしくて、どこかバランスを欠いている)」なアトラクションのようなものであり、「自分たち自身のジャンルを作った」という趣旨の発言を残している。これは本人の自己評価であって客観的な事実ではないが、少なくとも制作陣が「何か新しいことをやっている」という自覚を持って作っていたことは、この証言からうかがえる。
まとめ——制約こそがこの映画のスタイルを作った
『死霊のはらわたII』の面白さは、「潤沢な予算で作られた完璧なホラー」だからではない。むしろ逆だ。中世編を撮る金がない。前作の映像素材も使えない。X指定を避けるためにMPAAの審査すら通せない。そうした制約の一つひとつが、山小屋という狭い空間への集中、家中の物が笑い出す過剰な演出、無指定という異例の配給方法、そして恐怖を笑いへ反転させる独特のトーンを生み出した。
興行的には決して大ヒットではなかったこの映画が、40年近く経った今も語り継がれ、研究され、現役の監督に参照され続けている。「制約をどう演出に変えるか」という、低予算映画づくりそのものの教訓として読んでもいい一本だろう。
同時に、この映画を調べていて印象的だったのは、「わからないこと」を無理に埋めようとしない姿勢が、かえって作品への信頼感を高めるという点だった。製作費の幅、日本興行の空白、公開日の食い違い、これらは一次資料をどれだけ辿っても確定しない。だがそれを「不明」のまま提示することは、情報の手抜きではないはずだ。断定できる部分とできない部分を分けて見せることこそ、40年前の映画を今語り直すうえでの誠実さだと思う。次に見返すときは、山小屋という限られた空間が、限られた予算からどれだけの狂気を引き出せるかという一種の実験として、あらためて楽しんでみてほしい。
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